子どもが巣立ったあと
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娘への電話が長くなって、嫌がられている気がする67歳。「もう切るね」を毎回言わせていた私が、話すことを三つだけ書いてからかけるようにした冬

縁側でスマホを手に庭を見る女性の横顔
kuroko

スマホの通話履歴のいちばん上に、「香織 47分」と出ていました。

日曜の夜の、九時を少し過ぎたころです。

その下には、「香織 52分」「香織 41分」と、同じ名前が並んでいます。

どれも、私からかけた電話でした。

切る前に娘が言った言葉が、まだ耳に残っていました。

「お母さん、ごめん。もう切るね。明日、早いから」

その「もう切るね」を、娘はこの電話で三回言っていました。

一回目は、三十分を過ぎたころ。

二回目は、四十分のころ。

三回目で、やっと私は「じゃあね」と言ったのです。

川が二本流れる町

私は六十七歳です。

川が二本流れる地方の町の、夫の実家だった瓦屋根の二階建てに、夫と二人で住んでいます。

夫の勝彦は七十歳で、家具を直す職人をしています。

町の家具店の奥の仕事場で、四十五年、椅子やたんすを直してきました。

今は店を若い人に任せて、昔からのお客さんに頼まれたときだけ、よそのお宅へ直しに出かけます。

仕事のある日は、朝から出かけて夕方に帰ってきます。

帰ってくると「ただいま」と言って、あとはほとんどしゃべりません。

仕事場でも、一日じゅう黙って木を削ってきた人です。

娘の香織は三十八歳です。

電車で三時間かかる、大きな街の近くの市で、夫の俊介さんと共働きをしています。

小学二年生の男の子と、保育園の年長の女の子がいます。

私は、日曜の夜に娘へ電話をかけるのを楽しみにしていました。

子どもたちが寝たあとの、九時ごろです。

話したいことは、いつもたくさんありました。

一週間分の話

話すことは、一週間のうちに自然にたまっていきました。

月曜日、裏のお宅の大きな欅が、枝を切られた。

火曜日、スーパーで、香織の小学校の同級生のお母さんに会った。

水曜日、テレビで見た料理を作ってみた。

木曜日、夫が直しに行った先の家の犬が、夫の靴を片方くわえて逃げた。

金曜日、隣の町の親戚から、梨が一箱届いた。

土曜日、町内の溝掃除に出た。

日曜の夜になると、私はそれを月曜日から順番に話しました。

娘は、はじめのうちは「へえ」「そうなんだ」と相づちを打ってくれます。

でも、二十分を過ぎたころから、相づちの間が長くなっていきます。

電話の向こうで、洗濯機の止まる音や、食器を重ねる音が聞こえてきます。

娘は、私の話を聞きながら、明日の支度をしているのでした。

それでも私は、話をやめられませんでした。

途中で切られたら、残りの話を、また一週間持っていなければならない。

そんな気がしていたのです。

「それ、先週も聞いた」

十月の半ばの日曜日のことは、今も思い出すと胸が苦しくなります。

その日、私は裏のお宅の欅の話を、また始めていました。

「それでね、枝を切ったら、うちの二階から山が見えるようになったのよ」

「お母さん」

娘の声が、少しだけ低くなりました。

「それ、先週も聞いた」

私は、言葉に詰まりました。

先週話したかどうか、自分では覚えていなかったのです。

「そうだった? ごめんね。じゃあ別の話ね。あのね、溝掃除のときに」

「お母さん、ごめん」

電話の向こうで、下の子の泣き声がしました。

「ママ、ママ」と呼んでいます。

「起きちゃった。もう切るね」

電話は、そこで切れました。

私はスマホを耳に当てたまま、しばらく台所の椅子に座っていました。

溝掃除の話は、そのまま私の中に残りました。

その夜、布団に入ってから、三十年前のことを思い出しました。

香織がまだ小さかったころ、私の母が、毎晩のように電話をかけてきた時期がありました。

夕方の六時、ちょうど夕飯の支度をしているころです。

「今ね、お味噌汁作ってるの」

私がそう言うと、母は「あら、ごめんね」と言いながら、話を続けました。

近所の人の話、親戚の話、テレビの話。

私は受話器を肩にはさんで、ねぎを刻みながら聞いていました。

ある晩、私は言ってしまいました。

「お母さん、その話、昨日もしたわよ」

母は少し黙ってから、「そうだったかしらね」と笑いました。

その笑い声がさびしそうだったことに、私は気づかないふりをしました。

あの晩の母と、今の私は、同じところにいるのだと思いました。

郁子さんの「重たいわよ」

次の木曜日、高校の同級生の郁子さんと、川の土手を歩きました。

郁子さんとは五年前から、木曜の朝に一時間だけ一緒に歩いています。

歩きながら、日曜の電話の話をしました。

「一週間分、全部話してたの?」

「そう。話したいことが、たまっちゃうのよ」

郁子さんは、土手の上で立ち止まって、川のほうを見ました。

「それって、香織ちゃんに一週間分の荷物を、いっぺんに渡してるようなものよ」

「荷物?」

「重たいわよ、それ。子ども二人抱えて、次の日も仕事でしょう」

私は、何も言えませんでした。

「だいたい、欅の話なんて、私に言えばいいじゃない。私、そういうの好きよ」

郁子さんは、笑いながら歩き出しました。

「裏のお宅って、あの大きい欅でしょう。切っちゃったの?」

私は、その場で欅の話をしました。

郁子さんは、「あら、もったいない」「でも山が見えるのはいいわね」と、ひとつずつ返してくれました。

土手を一往復するあいだに、欅の話も、溝掃除の話も、全部終わってしまいました。

家に帰ってから、気づきました。

話したいことのほとんどは、娘に話さなくてもよかったのです。

三つだけ

その週の日曜日、電話をかける前に、私は台所の食卓で紙を一枚用意しました。

新聞に入ってきた広告の裏を、はがきくらいの大きさに切ったものです。

そこに、娘に話したいことを書き出してみました。

最初は、十一個になりました。

欅、溝掃除、梨、親戚の話、テレビの料理、夫の靴をくわえた犬。

読み返して、これは郁子さんに話した、これは夫に話せる、と線を引いていきました。

最後に残ったのは、三つでした。

一つ目は、親戚から届いた梨を、少し送りたいということ。

二つ目は、お正月に帰ってくるかどうか、急いで決めなくていいということ。

三つ目は、下の子の誕生日のプレゼントを、何にしたらいいかということ。

どれも、娘に聞かなければ分からないことか、娘に言わなければ伝わらないことでした。

私は、紙のいちばん上に「三つだけ」と書きました。

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九時少し前、夫が居間から声をかけてきました。

「何を書いてるんだ」

「香織への電話の、話すこと」

夫は紙をのぞきこんで、少し笑いました。

「椅子と同じだな」

「どういうこと?」

「がたつく椅子の脚を、四本いっぺんに削ると、かえって傾く。一本ずつ合わせるんだ」

夫は、それだけ言って居間に戻っていきました。

十四分の電話

九時に電話をかけると、娘は少し身構えたような声で出ました。

「もしもし。お母さん、今日はどうしたの」

「話したいことが、三つだけあるの」

「三つ?」

私は紙を見ながら、梨の話をしました。

娘は、「え、梨? ほしい、ほしい。上の子が好きなの」と言いました。

お正月の話をすると、「ありがとう。まだ俊介の休みが分からなくて」と、ほっとした声になりました。

下の子の誕生日の話をすると、娘は少し考えてから、「最近、紙を折るのが好きなの。折り紙がいいかも」と教えてくれました。

三つ話し終わって、私は言いました。

「じゃあ、今日はこれで。おやすみ」

電話の向こうで、少し間があきました。

「……え、もう終わり?」

「うん。三つだけって決めたから」

娘は笑いました。

「なんか、変な感じ。お母さん、どうかしたの?」

「どうもしないわよ。元気よ」

電話を切ると、通話履歴には「14分」と出ていました。

私は、紙の三つの行に、鉛筆で小さく丸をつけました。

でも正直に言うと、そのあとしばらく、手持ちぶさたでした。

本当は、溝掃除の話も、犬の話もしたかったのです。

話さなかった話が、胸のあたりに残っていました。

私は押し入れから、何年も前に途中でやめた大学ノートを出してきました。

昔、日記を書こうとして、一か月でやめたノートです。

最後の日付は、七年前の三月でした。

その次のページに、私は、犬が夫の靴をくわえて逃げた話を書きました。

書いているうちに、自分で笑ってしまいました。

梨は、その週のうちに箱に詰めて送りました。

三日後、香織からLINEで写真が一枚届きました。

上の子が、梨を両手で持って、口を大きく開けている写真です。

「梨、ありがとう。二人で取り合いしてる」

短い文でしたが、私はその写真を何度も見返しました。

長い電話で一時間話した日より、娘の暮らしが近くに見えた気がしました。

「返事は、あとでする」

それからは、話したいことを、行き先ごとに分けるようになりました。

土手の上の話は、郁子さん。

家の中の話は、夫。

誰にも話さなくていい話は、大学ノート。

娘には、三つだけ。

夫に話すのは、はじめは気が進みませんでした。

夕飯のとき、裏の欅の続きを話していて、私はつい言いました。

「あなた、聞いてないでしょう」

夫は箸を置いて、私の顔を見ました。

「聞いてるよ。家具を直すのは、持ち主の話を聞くところからなんだ。四十五年、そうやってきた」

「でも、返事しないじゃない」

「返事は、あとでする」

次の日曜日の午後、二階で物音がしました。

上がってみると、夫が、納戸にしまってあった古い木の椅子を、北向きの窓の前に運んでいました。

欅の枝がなくなって、山が見えるようになった窓です。

夫の母が使っていた、背もたれのある椅子でした。

脚が一本ぐらついて、何年も納戸に入れたままにしていたものです。

夫は、その脚を直しておいてくれたのでした。

「山が見えるなら、座る場所がいるだろう」

夫はそれだけ言って、椅子の座面を手ではたきました。

私は、その椅子の横に、しばらく立っていました。

夫は、あの夕飯の話を、ちゃんと聞いていたのでした。

それから私は、郁子さんと歩いた日の夕方に、ときどきその椅子に座るようになりました。

山を見ながら、その日のことを大学ノートに少し書きます。

木曜日の土手では、郁子さんのほうからも話が出てくるようになりました。

「うちの孫がね、サッカーで一点入れたのよ」

「あら、すごいじゃない。何年生だっけ」

「三年生。この前まで、ボールから逃げてたのにね」

郁子さんの話を聞いているとき、私は、自分が香織の電話で相づちばかり打たせていたことを思い出しました。

聞いてもらうだけでなく、聞く側に回る日があると、話したい気持ちも少し落ち着くのだと知りました。

「今日は、長くていいよ」

何もかも、うまくいったわけではありません。

三つだけと決めても、話しているうちに、四つ目が口から出てしまう日もあります。

「あ、それとね」と言いかけて、自分の口を押さえたことが何度もあります。

娘の「もう切るね」を聞く日も、まだあります。

そのたびに、胸のあたりが少しちくっとします。

十二月のはじめの土曜日、夜の九時半に、娘のほうから電話がかかってきました。

私からかけるのは日曜日なので、土曜日に娘からかかってくるのは、初めてのことでした。

「お母さん、今、大丈夫?」

「大丈夫よ。どうしたの」

「子どもたち、二人とも早く寝たの。俊介も出張でいないし」

娘は、少し間をあけて言いました。

「今日は、長くていいよ。三つじゃなくて」

私は、何を話したらいいのか分からなくなりました。

食卓の上には、次の日曜のために書きかけた紙がありました。

まだ、一つしか書いていませんでした。

「……じゃあ、犬の話、していい? お父さんの靴をくわえて逃げた犬」

「なにそれ。聞く、聞く」

その夜の電話は、一時間八分になりました。

でも、話したのは、ほとんどが娘のほうでした。

上の子の学校のこと、職場の人のこと、俊介さんのお母さんのこと。

私は台所の椅子で、「へえ」「そうなの」と相づちを打っていました。

娘にも、話したいことがたまっていたのでした。

電話台の横のかご

今、電話台の横の小さなかごには、はがきの大きさに切った広告の裏が、十枚ほど重ねてあります。

どの紙にも、いちばん上に「三つだけ」と私の字で書いてあって、その下の三行に、鉛筆の丸がついています。

一枚だけ、四行目に「あ、それとね」と書いて、線で消してあるものがあります。

かごの下には、七年ぶりに続きを書きはじめた大学ノートが置いてあって、表紙の角が少し丸くなってきました。

スマホの通話履歴には、「14分」「18分」「11分」のあいだに、一つだけ「1時間8分」がはさまっています。

二階の北向きの窓の前には、脚を直した古い木の椅子が一つ、山のほうを向いて置いてあります。

あなたなら、どうしますか?

子どもに電話をかけるとき、話したいことは、いくつくらいたまっていますか。そのうち、その子に言わなければ伝わらないことは、いくつあるでしょうか。

子どもに話している話のうち、ほかの誰かに話してもいい話があるとしたら、それを受け取ってくれそうな人は、近くにいますか。

この物語から、考えたいこと

1. 電話が長くなるのは、話をためているからかもしれない

一週間に一度の電話に、一週間分の話を全部のせると、どうしても長くなります。

途中で切られるのがこわくて、話をやめられないこともあります。

長さよりも、ためている量のほうを見直すと、電話の形が変わります。

2. 話したいことには、行き先がある

子どもに聞かなければ分からないこと、子どもに言わなければ伝わらないことは、案外少ないものです。

近所の木の話や、町内の話を喜んで聞いてくれる人は、子どものほかにもいます。

誰にも話さず、紙に書くだけで気がすむ話もあります。

3. 相手にも、話したいことがたまっている

こちらが話す時間が長いと、相手が話す時間はなくなります。

こちらが短くすると、相手のほうから「今日は長くていいよ」と言ってくれる日が来ることもあります。

その日に、聞く側に回れるかどうかも、大事なことかもしれません。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

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この記事について

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※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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