人とのつながり
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趣味の会の人間関係に疲れた60歳。八年通った水彩画の会を辞めた私が、公園で描いた一枚

公民館で絵手紙を描く女性たち
kuroko

「件名:【すずかけ会】十月の予定と、作品展の当番表について」

「会員のみなさま いつもお世話になっております。世話役の小池です」

「十月の教室は、第二・第四火曜日の午後一時から、公民館二階の和室で行います」

「作品展(十一月三日〜五日)の当番表を添付しました。お一人二回です。ご都合の悪い方は、今週中に小池までご連絡ください」

「先生へのお礼の集金は、次回の教室で、お一人二千円をお願いします」

「また、十四日の教室のあとは、駅前で親睦のお茶会を予定しています。なるべくご参加くださいね」

火曜日の朝七時、私は台所のテーブルで、そのメールを二回読みました。

添付の当番表を開くと、私の名前が二か所に入っていました。

三日の午前と、五日の午後です。

お茶会の「なるべく」のところで、指が止まりました。

私は六十歳です。

水彩画の会に入って、八年になります。

好きなのは、絵のほうでした

会に入ったのは、五十二歳の春でした。

下の息子が就職で家を出て、昼の時間がぽっかり空いたころです。

公民館の掲示板に、「水彩画・初心者歓迎」の貼り紙がありました。

絵を描くのは、子どものころから好きでした。

高校では美術部にいて、卒業してからも、台所のテーブルで、みかんや湯のみをよく描いていました。

それで、思い切って見学に行ったのです。

先生は、今はもう七十五歳になる、穏やかな男の画家です。

最初の一年は、ただ楽しかった。

同じものを見て、みんながそれぞれ違う色で描く。

それを並べて見るのが、面白かったのです。

会員は十二人です。

教室は二時間で、はじめの三十分はお茶とおしゃべり、終わりの二十分は、みんなで一枚ずつ絵を見て、ひと言ずつ感想を言う時間でした。

座る場所は、いつの間にか決まっていました。

お茶の当番は、入った順に回ってきます。

年に一度の作品展には、全員が一枚出して、当番をします。

作品展の前の月には、額縁の注文をまとめる係があり、会場の受付の係があり、打ち上げの店を決める係がありました。

ひとつひとつは、たいしたことではありません。

でも、八年のうちに、火曜日の二時間のうち、絵筆を持っている時間は、一時間に減っていました。

「ちょっと、暗くない?」

去年の秋の作品展には、公園の銀杏の木を描いた一枚を出すつもりでした。

十一月の夕方、家の近くの公園で見た銀杏です。

葉は黄色というより、日が落ちかけて、くすんだ山吹色に見えました。

幹の下のほうは、もう暗い緑に沈んでいました。

私はその色のまま描きました。

描いていて、久しぶりに手が止まらなかった一枚でした。

作品展の二週間前、教室で、その絵を並べたときのことです。

会の中で一番古い堀さんが、私の絵の前で首をかしげました。

「ちょっと、暗くない?」

「夕方の銀杏なんです」

「それは分かるけど。並べたとき、この一枚だけ沈むわよ。みんな明るいから」

世話役の小池さんも、横からのぞきこみました。

「そうねえ。せっかくの作品展だし、黄色をもう少し入れたら、ぱっとするかもね」

二人とも、意地悪で言ったのではありません。

会場の壁に、十二枚がきれいに並ぶように、考えてくれていたのです。

私は、笑って言いました。

「そうですね。直してきます」

その週末、私は家で、銀杏の葉に明るい黄色を重ねました。

幹の暗い緑も、少し薄めました。

作品展の会場で、その絵は、ほかの絵とよくなじんでいました。

「よくなったじゃない」

堀さんに言われて、私は「ありがとうございます」と頭を下げました。

作品展が終わって、絵を持ち帰ったあと、私はそれを押し入れの奥に立てかけました。

私が描いた絵なのに、私の絵ではない気がしたのです。

それから一年、あの絵は一度も出していません。

「昔は、台所で描いてたろ」

メールが来た週の日曜日、夫が網戸の張り替えをしていました。

私は、隣で古い網をはがす手伝いをしていました。

「作品展、今年も当番なのか」

夫に聞かれて、私はつい、ため息まじりに答えました。

「二回よ。それに、お茶会も、なるべく出てって」

「行きたくないなら、行かなきゃいいだろう」

「そういうわけにいかないのよ。一人だけ出ないと、目立つんだから」

夫は、網の端をローラーで押さえながら、少し黙っていました。

それから、手を止めずに言いました。

「そういえば、最近、家で描いてるの見ないな」

「……会で描いてるもの」

「昔は、台所のテーブルで、よく描いてたろ。みかんとか、俺の湯のみとか」

「そうだったかしら」

「あれ、見てるの、好きだったんだけどな」

夫はそれだけ言って、次の網に取りかかりました。

その夜、私は押し入れから、家で使っていたスケッチブックを出してみました。

最後に描いた日付は、二年前の春でした。

二年間、私は、火曜日の教室でしか絵を描いていなかったのです。

それも、終わりの二十分に、みんなに見せる絵だけを。

好きなのは絵のほうで、集まりではない。

そう思っていたのに、いつの間にか、集まりのために絵を描いていました。

当番を終えてから

辞めると決めてから、言い出すまでに、ひと月かかりました。

小池さんへのメールを、何度も書いては消しました。

「一身上の都合により」と書いてみて、会社を辞めるみたいだと思って消しました。

「体調が」と書いてみて、嘘はつきたくないと思って消しました。

結局、メールはやめて、教室の帰りに、小池さんに直接話すことにしました。

ただ、今年の作品展の当番だけは、やってから辞めようと決めていました。

当番表を作るのに、小池さんが毎月、何晩もかけているのを知っていたからです。

作品展の最終日、五日の午後の当番を終えて、片付けをしているときでした。

額縁を箱にしまいながら、私は小池さんに声をかけました。

「小池さん。私、今年いっぱいで、会を辞めようと思うんです」

小池さんは、手に持っていた名札を、机の上に置きました。

「あら。何かあったの? 堀さんのこと?」

「いえ、違うんです」

私は、少し考えてから言いました。

「絵を、自分の速さで描きたくなって」

小池さんは、しばらく私の顔を見ていました。

「……そう。寂しくなるわね」

それから、少し笑いました。

「あなた、お茶の当番のとき、いつも先生の湯のみだけ、ぬるめにしてたでしょう。先生、猫舌だから。あれ、誰が教えたの」

「誰にも。見てたら、そうかなって」

「そういうところ、みんな知ってたのよ」

小池さんはそう言って、名札をまた手に取りました。

「来年の作品展、見に来てね。描いたものがあったら、見せてちょうだい」

公園へ持っていく道具

十二月のはじめ、私は、月に一度、公園で一人で描くことに決めました。

日にちは、第二火曜日にしました。

教室のあった曜日です。

困ったのは、道具でした。

会で使っていたのは、チューブの絵の具と、大きなパレットと、水を入れるバケツと、画板です。

全部を袋に入れると、ずしりと重く、公民館までバスで運ぶのがやっとでした。

公園のベンチで広げるには、多すぎます。

家の中で、何度か道具を並べ直してみました。

チューブの絵の具を小さな容器に分けることも考えましたが、ふたを開けたり閉めたりするあいだに、手がかじかみそうです。

夕飯のあと、台所のテーブルで道具を広げていると、夫がのぞきこみました。

「外で描くのか。寒いぞ」

「月に一回だけよ。教室のあった火曜日に」

「こんなに持っていくのか」

夫は、バケツと画板を指さしました。

「だから困ってるの。ベンチの上に全部は広げられないし」

「昔、みかん描いてたときは、もっと小さい箱だったろう」

言われて、高校のころに使っていた、手のひらくらいの絵の具の箱を思い出しました。

実家を出るときに、どこかへやってしまったものです。

それで、持ち歩ける水彩の道具を探しました。

条件は、三つにしました。

絵の具が固まっていて、水をつけるだけで使えること。

パレットと一緒になっていて、片手に載る大きさであること。

色の数は十二色くらいで足りること。

色が多いと、また迷って、誰かに見せる色を選んでしまいそうだったのです。

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スケッチブックは、押し入れから出した、家のものを使うことにしました。

二年前の春のページの次から、描いていくのです。

一人のベンチ

最初の第二火曜日は、朝から風の冷たい日でした。

公園の奥の、銀杏の木が見えるベンチに座りました。

葉は、半分ほど落ちていました。

水筒のお湯を少しだけ、小さな容器に移して、筆を浸しました。

描き始めて十分ほどで、指先がかじかんできました。

犬を連れた人や、ベビーカーを押す人が、前を通っていきます。

誰も、私の絵をのぞきこみませんでした。

一度だけ、小さな男の子が立ち止まりました。

「なに描いてるの」

「あの木よ」

男の子は、木と私の絵を見比べて、「くらいね」と言いました。

「夕方みたいでしょう」

「まだ朝だよ」

男の子は、お母さんに呼ばれて走っていきました。

私は、笑ってしまいました。

暗いと言われて笑えたのは、はじめてでした。

一時間ほどで、一枚描き上がりました。

銀杏の葉はくすんだ山吹色で、幹の下は暗い緑です。

去年、私が見たとおりの色でした。

描き終えて、スケッチブックを閉じたとき、少しだけ、物足りない気がしました。

教室なら、終わりの二十分に、誰かが何か言ってくれたのです。

誰にも見せない絵は、描き終わったところで、そのまま終わってしまいます。

楽になったのと同じくらい、そのことが少し寂しかったのです。

家に帰ると、夫が台所のテーブルでお茶を飲んでいました。

私はスケッチブックを、テーブルの端に置きました。

夫は何も聞かずに、それを開いて、しばらく眺めていました。

「暗いな」

「朝なのよ」

「知ってる」

夫はそう言って、ページを閉じました。

隣に座った人

三回目の第二火曜日は、二月でした。

銀杏の木は、もう枝だけになっていました。

私は、枝の先の、細かいところを描いていました。

ふと、ベンチの右側が、少し沈みました。

顔を上げると、君江さんが座っていました。

すずかけ会で、いつも一番端の席に座っていた人です。

私より三つ上で、講評の時間にも、あまり話さない人でした。

「やっぱり。後ろ姿で、そうじゃないかと思ったの」

「君江さん。どうしてここに」

「この先に、住んでるのよ。散歩の道なの」

君江さんは、私の膝の上のスケッチブックを、遠慮なくのぞきこみました。

「去年の銀杏ね。作品展に出したの」

私は、少しどきりとしました。

「直したほうじゃなくて、最初のほう。教室で並べたときの、暗いほう」

「……覚えてるんですか」

「私、あれ、いいなと思ってたの。夕方の公園の匂いがしたもの。直すって聞いて、もったいないなって思ったんだけど、言えなかったのよ」

君江さんは、少し恥ずかしそうに笑いました。

「私も、あのとき、明るいほうがいいわよって、うなずいてたの。堀さんの隣で」

それから、君江さんは、手提げの中から、手のひらくらいの小さなスケッチブックを出しました。

「私もね、ほんとは、一人で描いてみたかったの。でも、会を辞める勇気がなくて。散歩のついでに、こっそり描いてるの」

君江さんは会を辞めていません。

辞めずに、火曜日の教室にも、お茶会にも出ているそうです。

「辞めなくても、描けるのよ。でも、辞めたあなたを見て、ちょっとうらやましかった」

私たちは、それから一時間、ほとんど話さずに、同じ銀杏の木を描きました。

君江さんの枝は、私の枝よりずっと細く、線が震えていました。

帰りぎわ、君江さんが言いました。

「来月も、第二火曜日?」

「……たぶん」

「じゃあ、また、右側に座っていい?」

私は、すぐには返事ができませんでした。

一人で描きたくて、八年通った会を辞めたのです。

「どうぞ」と言ったのは、少し間があってからでした。

ベンチの右側

家に帰って、その日のページを夫に見せました。

「二人ぶん、描いたのか」

夫は、ページの端の、君江さんが描いた小さな枝の線を指さしました。

帰りぎわに、君江さんが「一本だけ、描かせて」と、私のスケッチブックに描いていったのです。

「会の人がね、隣に座ったの」

「辞めたのにか」

「辞めたのにね」

小池さんからは、年が明けてすぐに、はがきが届きました。

「今年の作品展は十一月です。描いたもの、見せてちょうだいね」

その下に、小さな字で一行ありました。

「先生が、ぬるいお茶がないって言ってます」

私は、はがきを台所の壁に貼りました。

会に戻るつもりは、今のところありません。

火曜日の二時間を、また誰かに見せるための時間にしたくはないのです。

けれど、あの日、ベンチの右側が沈んだとき、私は、描いていた手を止めて、少しうれしかったのです。

好きなのは絵で、集まりではない。

そう思って、八年通った会を辞めました。

では、隣に君江さんが座ったときの、あのうれしさは、何だったのでしょう。

来月の第二火曜日、私はまた、ベンチの右側を空けて座るのでしょうか。

あなたなら、どうしますか?

好きで始めた趣味の場で、好きなことをしている時間は、今どれくらい残っていますか。当番や集まりの時間と比べてみると、何か気づくことはありますか。

もし一人で続けることにしたあと、昔の仲間が隣に座ったら、あなたは右側を空けますか。それとも、一人の時間を守りますか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. 好きなことと、好きなことの場は、別のもの

主人公は、絵が嫌いになったわけではありませんでした。

疲れていたのは、当番や集金やお茶会、そして「みんなに見せる絵」を描くことのほうでした。

辞めたいのが「好きなこと」なのか「その場」なのかを分けて考えると、選べる道が変わってきます。

2. 合わせた一枚は、あとまで残る

作品展のために色を直した銀杏の絵を、主人公は一年間、押し入れから出せませんでした。

周りの人は意地悪で言ったのではありません。

それでも、自分の見た色を手放した一枚は、あとから見るのがつらいものになりました。

3. 一人を選んでも、人を嫌いになったわけではない

会を辞めたあとも、小池さんからはがきが届き、君江さんが隣に座りました。

一人で描く時間は楽になった一方で、誰にも見せない寂しさもありました。

一人でいることと、誰かとつながっていることは、どちらか一つに決めなくてもいいのかもしれません。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(絵の具が固まっていて水をつけるだけで使える・パレットと一緒になっていて片手に載る大きさ・十二色くらい)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

公園のベンチで広げられる、固形の水彩セット

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  • 販売ページの記載:ウィンザー&ニュートン コットマン ハーフパン12色・水筆付き
  • 販売ページの記載:コンパクトなケースに絵の具が並んだ携帯用のセット
  • 選ぶときは、色数・ケースの大きさ・筆が付いているかを見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

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この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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