近所の立ち話が苦手な60代女性。会釈して家に入るだけだった59歳の私が、玄関の前に置いた素焼きの鉢ひとつ
台所の窓を細く開けていると、道から声が入ってきます。
三人です。
いつもの三人の声が、うちの塀の外で止まりました。
一人の声が高くなって、二人が笑います。
しばらくして、また別の一人が話し出します。
私は、洗い物の手を止めて、ガスの前に立ったままでいました。
時計を見ると、四時二十分でした。
この前は、二十五分続きました。
その前の週は、四十分でした。
私は、この声が終わるまで、外に出られません。
五十九歳です。
結婚して、この家に来て二十八年になります。
会釈をして、家に入るだけ
家の前で三人が立っていると、私はいつも同じことをします。
小さく会釈をして、「こんにちは」と言って、そのまま門を入ります。
足は止めません。
止めてしまうと、そのあとが分からないからです。
輪の中に入ったとして、何を話せばいいのでしょう。
天気の話は、たぶん三十秒で終わります。
そのあとの一分が、私にはこわいのです。
もうひとつ、こわいことがあります。
切り上げ方です。
話が続いてしまったとき、どうやって「では」と言えばいいのか、私は本当に分かりません。
用がある、と言えば嘘になります。
用がなくて家にいることを、知られているからです。
だから私は、はじめから立ち止まらないことにしていました。
夫は、そんな私を見て一度だけ言いました。
「回覧板を回すときも、ドアの下に差してくるだろう」
「だって、出てこられると困るもの」
「困るって、お前」
夫は、それ以上は言いませんでした。
夫は六十二歳で、まだ働いています。
朝は六時半に出て、帰りは七時すぎです。
娘は二十八歳で、四年前から県外に住んでいます。
昼間、この家にいるのは私だけです。
私は週に三日、バス通りの事務所で経理の手伝いをしています。
残りの四日は、一日じゅう誰とも話さない日があります。
話題を用意して、出ていったことがあります
二年ほど前に、一度だけ試したことがあります。
朝のうちにテレビのニュースを見て、話題を三つ用意しました。
野菜の値段のこと。
隣の市に大きな店ができるという話。
その週にあった、町内の防災訓練のこと。
それを頭の中で並べてから、わざとゴミ出しの時間をずらして外に出ました。
三人は、いつもの場所にいました。
「おはようございます」
私が言うと、三人が振り向きました。
「あら、おはよう」
そこまではよかったのです。
私は、用意した一つ目を出しました。
「白菜、高いですね」
「高いわねえ」
それで、終わりました。
三人は、そのまま別の話に戻りました。
前の日にどこかの病院で待たされた話の続きのようでした。
私は、二つ目を出す場所が見つからないまま、そこに三分ほど立っていました。
笑うところで笑い、うなずくところでうなずきました。
帰りたいのに、帰る言い方が分からないのです。
結局、「では、ちょっと」とだけ言って、逃げるように門を入りました。
家に入ってから、玄関で靴を脱がずに、しばらく立っていました。
用意していった三つは、二つ残ったままでした。
夕飯のとき、夫にその話をしました。
「今日、外で話しかけてみたの。白菜が高いですねって」
「それで」
「高いわねえ、で終わった」
夫は、味噌汁の椀を持ったまま、少し黙りました。
「お前、話すのが嫌いなわけじゃないだろう」
「嫌いじゃないわよ」
「はじめの一言を、自分から出すのが苦手なだけだ」
そのとおりでした。
そのとおりでしたが、どうすればいいのかは、夫にも分かりませんでした。
それ以来、私は話題を用意するのをやめました。
母は、立ち話の名人でした
思い出すことがあります。
私が小学校の三年か四年のころです。
母と買い物に行った帰り道、母が知り合いに会いました。
母は、買い物かごを地面に置きました。
かごを置くのは、長くなる合図です。
私は、その横で待ちました。
話は、なかなか終わりませんでした。
夕方の風が出てきて、かごの上のネギが揺れていました。
我慢ができなくなって、私は母の袖を引きました。
「もう帰ろうよ。恥ずかしいから」
母は、私の手をそっと外して、また話を続けました。
家に帰ってから、母は台所で笑いながら言いました。
「あんたは、愛想がないねえ」
怒ってはいませんでした。
笑って言われたのです。
でも、その言葉は、五十年たっても残りました。
母は、どこに行っても人と話せる人でした。
魚屋でも、バス停でも、病院の待合室でも、必ず誰かと話していました。
私は、その母の子なのに、どうして道で立ち止まれないのだろうと、ずっと思ってきました。
母は八年前に亡くなりました。
葬儀のとき、知らない人がたくさん来てくれました。
「お母さんには、よく話しかけてもらったのよ」
そう言われるたびに、私はうなずきながら、自分が母の何を継いだのだろうと考えていました。
「それ、何の花ですか」
去年の四月のことです。
玄関の横に、小さな鉢がひとつ置いてありました。
娘が春に帰ってきたときに買ってきて、そのまま置いていったものです。
オレンジ色の小さな花が咲いていました。
私は、朝の水やりだけはしていました。
ある朝、じょうろで水をやっていると、後ろから声がしました。
「それ、何の花ですか」
振り返ると、道に、見たことのある人が立っていました。
三人の輪の中にいる人ではありません。
犬を連れた、私より少し年上の女の人でした。
「これは、娘が買ってきたもので、名前を聞いてないんです」
「あら、そう。きれいね」
その人は、少し腰をかがめて、花を見ていました。
「うちにも前にあったの。これ、水をやりすぎると駄目になるのよ」
「そうなんですか」
「土がさらっと乾いてからでいいのよ」
それから、五分ほど話しました。
花の話と、犬の年の話と、この道は午後から日が当たらないという話です。
私は、一度も話題を探しませんでした。
探さなくても、目の前に話すものがあったからです。
そして、その人は「じゃあ、行くわね」と言って、犬に引かれて歩いていきました。
私は、じょうろを持ったまま、立っていました。
切り上げたのは、向こうです。
けれど、私の側にも終わりがありました。
じょうろの水が、空になっていたのです。
娘に、電話で聞きました
その週の日曜、娘に電話をしました。
用事があったわけではありません。
「去年置いていった鉢、あれ、何ていう花だったの」
娘は、少し笑いました。
「お母さんが、花の名前を聞いてくるなんて」
「枯らしちゃったのよ。水をやりすぎたみたい」
「毎日やってたでしょう。あれ、毎日はいらないの」
「そうなの」
「うん。お店の人に、ずぼらでも大丈夫なのをくださいって言って選んでもらったんだから」
ずぼらでも大丈夫なものを、私は毎日世話をして枯らしたのです。
電話を切ってから、しばらくおかしくて、一人で笑っていました。
人付き合いも、これと同じかもしれないと思いました。
私はいつも、やりすぎるか、まったくやらないかのどちらかでした。
道で立ち止まれないのも、立ち止まったら三十分話さなければいけないと思っていたからです。
そのあいだが、ありませんでした。
鉢を、もうふたつ
その日から、私は考えるようになりました。
話題を用意するのではなくて、話しかけられるものを外に置いておけばいいのではないか。
娘が置いていった鉢は、夏の終わりに枯らしてしまいました。
水をやりすぎたのだと思います。
九月に、私はバス通り沿いの園芸店に行きました。
苗が並んだ台の向こうに、鉢だけを置いた棚がありました。
プラスチックの鉢は、軽くて安く、色もそろっていました。
私は、それを二度見て、置きました。
選んだのは、素焼きの鉢です。
条件は、四つ決めました。
ひとつめは、素焼きであることです。
店の人に聞くと、素焼きは土の乾きが早いと言われました。
水をやりすぎて枯らした私には、そのほうがいいと思いました。
ふたつめは、片手で持てる大きさであることです。
玄関の前は、朝日が入る時間と、日陰になる時間があります。
季節によって、置き場所を動かしたかったのです。
三つめは、受け皿がついていることでした。
玄関の前はコンクリートです。
土の混じった水が流れると、あとが残ります。
四つめは、同じ形のものが、いくつか買えることでした。
春と秋で植え替えるなら、同じ形で並んでいたほうが、手がかからないと思ったのです。
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苗は、二種類だけ買いました。
一つは、あの犬の人が「うちにも前にあった」と言った花です。
もう一つは、母が庭の隅でよく作っていた、白い小さな花の苗でした。
名前は、店の札で初めて知りました。
朝の水やりは、じょうろが空になったら終わり
十月から、私の朝が少し変わりました。
七時に夫を送り出したあと、じょうろに水を汲んで、玄関を出ます。
素焼きの鉢は、たしかに乾くのが早いものでした。
前の日の夕方に水をやっても、朝には土の色が薄くなっています。
指で押すと、さらさらしています。
朝日は、七時半ごろに門のあたりまで入ってきます。
十時を過ぎると、向かいの家の影に入ります。
私は、鉢を三十センチほど右に動かす日と、動かさない日を決めました。
片手で持てる大きさにしておいてよかったと、そのとき思いました。
水をやっていると、人が通ります。
前は、通る人がいると家に入っていました。
今は、鉢の前にしゃがんでいるので、入るほうがおかしいのです。
「おはようございます」
「おはよう。もう咲いた」
「まだです。つぼみが二つ」
それだけの朝が、何日か続きました。
じょうろが空になると、私は立ち上がります。
それが、私の切り上げ方になりました。
用があるふりをしなくていいのです。
水がなくなったから、入る。
二年前に三分立っていたあの朝、私がほしかったのは、たぶんこれでした。
十一月の終わりに、例の三人のうちの一人が、うちの前で足を止めました。
浅井さんという、この道でいちばん古くから住んでいる人です。
「あんた、花、始めたの」
「はい。去年、娘が置いていったのを枯らしてしまって」
「素焼きね。うちは重くていやになっちゃって、みんなプラスチックよ」
「重いですか」
「水を入れるとね。でも、素焼きのほうが根にはいいって言う人もいるわねえ」
そこで、浅井さんが、鉢の白い花を見て言いました。
「これ、お母さんが庭に植えてたのと同じじゃない」
私は、じょうろを落としそうになりました。
「覚えてるんですか」
「覚えてるわよ。前はね、よくそこで話したの。かごを置いてね」
かご、という言葉が出てきて、私は返事ができませんでした。
「あんたのお母さん、よく言ってたのよ。うちの子は、人の話をよく聞く子だって」
私は、何と返せばいいのか分かりませんでした。
浅井さんは、それ以上は言いませんでした。
「寒くなるから、夜は軒の下に入れてあげなさいね」
そう言って、手袋をはめ直して、坂のほうへ歩いていきました。
家に入ってから、私は仏壇の前に座りました。
母の写真は、六十のころのものです。
愛想がないと言われた日のことを、母が覚えていたかどうかは分かりません。
たぶん、覚えていなかったのだと思います。
入れたわけでは、ありません
冬になって、花はほとんど咲かなくなりました。
鉢は三つに増えました。
三人の輪に入れたかというと、入れていません。
今でも、三人が塀の外で話しているときは、台所で洗い物をしています。
時計を見て、何分続いているかを数える日もあります。
たぶん、この先も入れないのだろうと思います。
その代わり、朝は違います。
水をやっているあいだに、二人か三人が通ります。
「おはようございます」と「まだです」と「そうですか」。
それだけの、三十秒ほどの話です。
去年までは、その三十秒もありませんでした。
母が、どこに行っても人と話せた人だったことを、私は今もうらやましく思います。
同じようにはなれませんでした。
ただ、母が地面にかごを置いていたのと、私がじょうろを持ってしゃがんでいるのは、少し似ているのかもしれません。
夫が、先週の日曜に、玄関の前にレンガを何枚か敷いてくれました。
鉢の下が濡れて、コンクリートに丸い跡が残るようになったからです。
「これで、跡はつかん」
「ありがとう」
夫は、何も言わずに軍手を外して、家に入っていきました。
今朝も、雨上がりでした。
レンガの上の素焼きの鉢は、雨を吸って、いつもより色が濃くなっています。
ひとつは、縁が少し欠けています。
夏に、私が持ち上げようとして、玄関の段に当ててしまったところです。
受け皿には、まだ水がたまっていました。
中の苗は、背が三センチほどで、つぼみは見えません。
春まで、このままなのだそうです。
私は、じょうろに水を汲みに、もう一度台所へ戻りました。
あなたなら、どうしますか?
近所の人と話すとき、あなたが困るのは「何を話すか」でしょうか。それとも「どうやって終わらせるか」でしょうか。
話題を用意しなくても話しかけてもらえる「きっかけ」を、家の前に一つ置けるとしたら、あなたは何を置きますか。
今週、ひとつだけ決めるなら
ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。
この物語から、考えたいこと
1. 話題を用意しても、置く場所がないことがある
人と話すのが苦手な人ほど、事前に話題を考えて出ていきます。
けれど、進んでいる話の中に、用意した話題を差し込める場所は、なかなかありません。
用意した分だけ、使えなかったときの落ち込みも大きくなります。
話題を持っていくより、話しかけてもらえるものを外に出しておくほうが、続きやすいことがあります。
2. 苦手なのは、始まりではなく終わり方かもしれない
挨拶までは、たいていの人ができます。
苦しいのは、そのあとをどう終わらせるかです。
終わりの合図が自分の中にないと、始めることそのものがこわくなります。
じょうろが空になる、洗濯物を干し終える、といった自然に終わるものを間に置くと、始めるほうも軽くなります。
3. 輪に入らなくても、つながりは持てる
近所付き合いというと、輪の中に入ることだと思いがちです。
けれど、毎朝三十秒だけ言葉を交わす相手が何人かいることも、立派なつながりです。
入れない自分を責めるより、入らないままできることを一つ決めるほうが、先に進みます。
振り返りチェック
当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。
印をつけた数:
数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。
この物語に登場したもの
ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(素焼きで土が乾きやすい・片手で持てる小さめ・受け皿つき・同じ形をいくつか揃えられる)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。
玄関の前に置く、素焼きの小さな鉢
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- 販売ページの記載:素焼き(テラコッタ)の鉢が3個セット・受け皿付き
- 販売ページの記載:上部の外径約15cm・高さ約12.5cm・底に穴あり
- 販売ページの記載:側面にも穴があり、水がたまりにくい
- 選ぶときは、大きさ(置き場所に合うか)・受け皿の有無・底穴を見ると選びやすくなります。
※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。
次の物語
この記事について
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※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。