人とのつながり
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60代、今から友達を作って何を話せばいいのか。私が「話す相手」より先に決めたこと

陶芸教室で、隣の人と話しながら作業する女性たち
kuroko

朝の六時四十分に、私は家を出ます。

燃えるごみの日は、集積所のネットをかけ直してから、そのまま歩き始めます。

郵便局の角を曲がって、坂を下り、川の手前で折り返す。

ちょうど三十分の道です。

坂の途中の、青い屋根の家の前を通ると、門の内側から柴犬が一回だけ吠えます。

赤い首輪をした、茶色の犬です。

一回吠えると、あとはしっぽを振って、私が通り過ぎるのを見ています。

三年間、ほとんど毎朝そうでした。

私はその犬の名前を知りませんでした。

飼い主の顔も、知りませんでした。

「友達を作りましょう」

「お母さん、友達、作ったら?」

娘の奈央がそう言ったのは、去年のお盆でした。

帰省していた奈央は、台所で西瓜を切りながら、公民館のお知らせの紙をひらひらさせていました。

「ほら、体操とか、手芸とか、いろいろあるじゃない。お父さんと二人きりで家にいるより、いいでしょう」

テレビでも、市の広報でも、同じことを言っていました。

「友達を作りましょう」

そう言われるたびに、私は困っていました。

私は六十五歳です。

娘と息子は独立し、十五年勤めた給食センターのパートも、二年前に辞めました。

夫は定年のあと、週に三日、知り合いの会社の手伝いに出ています。

「今から友達を作って、何を話すのよ」

私が言うと、奈央は包丁を止めて、少し困った顔をしました。

子どもの話は、もう終わりました。

仕事の話もありません。

趣味も、これといってないのです。

話すことがない人間が、友達を作りに行ってどうするのだろう。

そう思うと、公民館の紙は、冷蔵庫の横に貼られたまま黄ばんでいきました。

電話を、かけなくなった人

若い頃からの友人は、何人かいます。

いちばん長いのは、中学の同級生の洋子です。

三年前までは、季節ごとにお昼を食べに行っていました。

去年の春、久しぶりに電話をかけました。

「洋子、今度お昼でもどう? 駅前にお店ができたのよ」

「ごめんね。母のことで、しばらく先が読めなくて」

洋子は、お母さんの世話のために実家に通っていました。

「落ち着いたら、こっちから連絡するね」

「うん、無理しないでね」

電話を切ってから、私はしばらく受話器を見ていました。

誘ったことで、洋子に謝らせてしまった。

そう思うと、次の電話がかけられなくなりました。

もうひとりの友人は、共働きの娘さんの代わりに、毎日孫の送り迎えをしています。

みんな、自分の家のことで忙しいのです。

こちらから誘うのがためらわれて、連絡は年賀状だけになっていきました。

十分で帰った、手芸の会

実は、パートを辞めた年に、一度だけ集まりに行ったことがあります。

公民館の和室でやっている、手芸の会でした。

見学の日、部屋には八人ほどの女性がいて、座卓を囲んで布を広げていました。

「どうぞ、どうぞ。ここ座って」

世話役の方が、座布団をすすめてくれました。

みなさん、手を動かしながらずっとしゃべっていました。

孫の運動会の話。

お嫁さんの実家の話。

どこの病院の先生が話しやすいかという話。

私は針を持ったまま、どこで口をはさめばいいのか分かりませんでした。

「お孫さんは、おいくつ?」

隣の方に聞かれて、私は首を振りました。

「まだ、いないんです」

「あら、じゃあこれからね」

その方はにこにこして、それから向こうの人と話し始めました。

悪気がないことは、分かっていました。

でも、そのあと私は、一言も話せませんでした。

十時に始まった会の、十時十分ごろ、休憩のお茶が出たところで、私は腰を上げました。

「用事を思い出して。今日はありがとうございました」

「次も、いらしてね」

「はい」

そう答えて、それきり一度も行きませんでした。

最初の十分で何を話せばいいのか。

それが分からないかぎり、どこへ行っても同じだと思っていました。

スーパーの前で

去年の十一月、近所のスーパーの前で、自転車の鍵を外していたときのことです。

「いつも朝、そこの通りを歩いてらっしゃいますよね」

振り向くと、同じくらいの年の女性が、買い物袋を提げて立っていました。

驚きました。

私はその人を知りませんでしたが、その人は私を知っていたのです。

「うちの二階から、ちょうど見えるんですよ。いつも同じ時間だから、ああ、今日も通ったなって」

「そうなんですか。……恥ずかしい」

「坂の途中の柴犬に、毎朝吠えられてるでしょう」

私は思わず笑ってしまいました。

その人も笑って、「じゃあ、また」と言って帰っていきました。

名前も聞きませんでした。

聞けばよかった、と思ったのは、その人の背中が角を曲がってからです。

でも、不思議と焦りはありませんでした。

明日の朝も、私は六時四十分にあの道を歩きます。

あの人の家の二階からは、また私が見えるはずです。

帰り道、自転車を押しながら考えました。

私には、話す相手がいないと思っていました。

でも、毎朝六時四十分に同じ道を歩いているあいだに、顔は覚えられていたのです。

先に決めるのは、「誰と話すか」ではないのかもしれない。

「いつ、どこにいるか」のほうなのかもしれない、と。

掲示板の、月に二回

次の週、図書館に本を返しに行った帰り、公民館の前の掲示板に目が止まりました。

「ウォーキングの会 第二・第四土曜 朝九時 公民館前集合 見学歓迎」

月に二回、決まった時間に、決まった場所へ行く。

手芸の会のように、座って話し続ける場所ではありません。

歩いているあいだは、黙っていても変ではないはずです。

私はかばんからレシートを一枚出して、その裏に日にちと時間を書き写しました。

家に帰って、それを冷蔵庫の横に貼りました。

奈央が置いていった、黄ばんだ公民館の紙の隣です。

二枚並んだ紙を見て、少しおかしくなりました。

一枚は娘に渡されたもので、もう一枚は自分で書き写したものでした。

以前なら、申し込みの電話はかけられなかったと思います。

でも、スーパーの前で声をかけられたあとだったので、その晩、電話をかけました。

「あの、見学だけでも大丈夫ですか」

「もちろんです。歩きやすい靴で来てくださいね」

電話を切ると、夫が居間から顔を出しました。

「どこにかけてたんだ」

「ウォーキングの会。見学に行ってみようと思って」

「そうか。土曜なら、朝飯は俺がやる」

夫はそう言って、また居間に戻っていきました。

靴ひもを、二度結び直した日

十二月の最初の会の朝、私は八時四十分に公民館の前に着きました。

九時集合なのに、二十分も早く着いてしまいました。

門の横に立っていると、手芸の会の和室の窓が見えて、少しだけ胸がどきどきしました。

十分で帰ったあの日から、公民館に入るのは初めてだったのです。

「見学の方? 電話をくださった方ね」

帽子をかぶった世話役の男性が、名簿を手に声をかけてくれました。

「はい。今日はよろしくお願いします」

「みなさん、今日は見学の方が一人いらっしゃいます」

世話役の方がそう言うと、集まっていた人たちが、ばらばらに「おはようございます」と頭を下げてくれました。

それだけで、自己紹介は終わりでした。

誰も、孫の年を聞きませんでした。

その日の会は、十二人ほどでした。

河川敷を上流に向かって歩き、橋を渡って戻ってくる。

普段の散歩は三十分ですが、その日は二時間歩きました。

困ったのは、靴でした。

私が履いていたのは、昔から持っているひもの靴です。

途中でひもが二度ほどけて、そのたびに道の端にしゃがんで結び直しました。

二度目のとき、列の後ろのほうの人たちが、私が立ち上がるのを待っていてくれました。

「すみません、すみません」

「いいのよ、ゆっくりで」

そう言ってもらっても、顔が熱くなりました。

家に帰ると、足の指の横が赤くなっていました。

幅が少し、きつかったのだと思います。

その夜、夕食のときに、夫が聞きました。

「どうだった、歩く会は」

「二時間歩いたわよ。ほとんど誰とも話さなかったけど」

「話さなくていいんだろう、歩く会なんだから」

夫はそう言って、味噌汁をすすりました。

言われてみれば、そのとおりでした。

話さなかったことを、私は一度も気まずいと思わなかったのです。

次の回までに、靴を買い直すことにしました。

条件は三つです。

しゃがまずに履けること。

雨の日でも履けること。

幅が狭くないこと。

見た目や色は、三つの条件のあとで決めました。

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雨の日の会に備えて、上下に分かれた雨具も、ひとつ用意しました。

リュックの底に入れておける、小さく畳めるものにしました。

「その靴、歩きやすそうですね」

三回目の会のとき、隣を歩いていた人に聞かれました。

「その靴、歩きやすそうですね」

背の高い、白い帽子の人でした。

「ひもを結ばなくていいのを、探したんです。この前、二回もしゃがんじゃったから」

「ああ、あのとき。私も去年、同じことやったのよ」

それが、その日の最初の会話でした。

そのあとは、河川敷の坂の話、明日の天気の話、途中の家の庭の話。

話題を用意する必要は、ありませんでした。

同じ坂で息が切れて、同じ風に首をすくめる。

同じことを同じ時間にしているというだけで、話すことはできてしまうのです。

帰り道、会のコースが、私の朝の散歩の坂を通りました。

青い屋根の家の前で、柴犬が一回だけ吠えました。

「あら、ハナちゃん。今日も元気ね」

白い帽子の人が、門の向こうに手を振りました。

「この子、ハナっていうの。うちの孫が小さいころ、よく遊ばせてもらってたのよ」

三年間、毎朝吠えられていた犬の名前を、私はその日に知りました。

白い帽子の人の名前が「佐藤さん」だと分かったのは、五回目くらいのことです。

二月の第四土曜は、朝から小雨でした。

集まったのは、五人だけでした。

リュックの底から雨具を出して着ると、佐藤さんが「あら、準備がいいのね」と笑いました。

雨の河川敷は、いつもより川の音が大きく聞こえました。

誰もあまりしゃべらずに、フードの中で白い息を吐きながら歩きました。

橋のたもとで折り返すとき、世話役の方が言いました。

「雨の日に来る人は、だいたい続くんですよ」

どういう意味なのか、そのときはよく分かりませんでした。

でも、帰り道で佐藤さんと「またね」と言い合ったとき、少し分かった気がしました。

友達、とはまだ呼べません

会に通い始めて、半年がたちました。

その人たちと、食事に行ったことはありません。

電話番号も知りません。

けれど、月に二回、決まった時間に会う人が四、五人います。

誰かが休むと、「どうしたのかな」と思います。

私が風邪で一回休んだ次の会では、佐藤さんが「この前いなかったわね」と言ってくれました。

それだけのことが、帰り道までうれしかったのです。

四月の終わりに、洋子からはがきが届きました。

「母が施設に入って、少し落ち着きました。連絡できなくてごめんね。今度、あなたの歩いている道、一緒に歩かせて」

年賀状に、ウォーキングの会のことを一行だけ書いておいたのです。

洋子は、それを覚えていてくれました。

私は、あれから一度も電話をかけなかった自分を、少しだけ恥ずかしく思いました。

誘わなかったのは、洋子のためではなく、断られるのが怖かった自分のためだったのかもしれません。

その晩、奈央から電話がありました。

「お母さん、最近、声が明るいね。何かあった?」

「友達は、まだできてないわよ」

私が言うと、奈央は電話の向こうで笑いました。

友達、と呼ぶには足りないかもしれません。

でも、「知っている人がいる」というのは、思っていたよりずっと心強いことでした。

六時四十分の空

会に入った冬が過ぎ、春が来て、梅雨が明けました。

夏のあいだは、朝の六時四十分でも、坂の上から見る空はもう白く明るくなっていました。

洋子とは、七月に一度だけ、あの坂を一緒に歩きました。

「ここを毎朝歩いてるの?」

「六時四十分にね。三十分だけ」

「毎日同じ時間なんて、あなたらしいわ。中学のときも、毎朝同じ電柱のところで待ってたじゃない」

言われて、私は思い出しました。

五十年前にも、私は同じ時間に同じ場所に立って、洋子を待っていたのです。

ハナは、洋子にも一回だけ吠えました。

九月に入って、蝉の声が少なくなりました。

このごろは、同じ六時四十分に家を出ても、坂の下のほうはまだ薄暗いままです。

ごみの集積所のネットは、朝露で少し湿っています。

郵便局の角を曲がって、坂を下ります。

青い屋根の家の前で、私は小さな声で言います。

「ハナ、おはよう」

ハナは一回だけ吠えて、しっぽを振ります。

二階の窓の人が、今朝も見ているかどうかは分かりません。

来週の土曜は、第二土曜です。

あなたなら、どうしますか?

もし来月、決まった時間に決まった場所へ行くとしたら、どこを選びますか。

そして、そこで会う人に、最初の一言をかけるとしたら何と言いますか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. 「誰と話すか」より「いつ、どこにいるか」

話す相手を先に探すと、話題を用意しなければならなくなります。

同じ時間に同じ場所にいることを先に決めると、話は後からついてくることがあります。

2. 話題は、共有した時間から生まれる

同じ道を歩いた、同じ坂で息が切れた。

その場で起きたことが、そのまま話題になります。

3. 「友達」まで行かなくていい

名前を知らない、電話番号も知らない。

それでも、休むと気にかけてくれる人がいる。

その距離のつきあいにも、十分な価値があります。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(しゃがまずに履ける・雨の日も履ける・幅が狭くない)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

立ったまま履けるスリッポン

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  • 販売ページの記載:立ったまま履ける伸縮性のひも設計(結ばないタイプ)
  • 販売ページの記載:防水・幅は3E
  • 選ぶときは、脱ぎ履きのしやすさ・雨の日に履けるか・足の幅の表示を見ると選びやすくなります。
  • 足の形や幅の感じ方には個人差があります。可能であれば、実際に履いて確かめてください

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

次の物語

この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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