人とのつながり
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犬の散歩仲間の輪が苦手な60代。相づちばかり打っていた60歳の私が、人ではなく犬の名前を覚えた朝

陶芸教室で、隣の人と話しながら作業する女性たち
kuroko

雨上がりの土手に、六人

九月の終わりの、雨上がりの朝でした。

土手の草が濡れていて、歩くたびに靴の先が黒く変わっていきます。

空はまだ灰色で、川の水がいつもより濁って見えました。

もなかは、水たまりをよけずに、まん中をぱしゃぱしゃと歩きます。

十歳になる小さな犬で、白と茶色の毛が混じっています。

四年前、娘が結婚して家を出るときに、置いていった犬でした。

「ごめん、向こうの部屋、犬は駄目なんだって」

そう言われて、私は「いいわよ」とすぐに答えました。

嫌ではありませんでした。

ただ、犬と毎日外に出るというのが、どういうことなのか、あのときの私はまだ知りませんでした。

土手を下りると、水道の蛇口がある広場があります。

朝の六時半、そこに人が集まります。

その日は六人いました。

犬が六匹、リードの長さのぶんだけ、ぐるぐると動き回っています。

「おはようございます」

私が言うと、六人が顔を上げて、口々に「おはよう」と返してくれます。

そこまでは、いいのです。

つらいのは、そのあとの二十分でした。

「そうなんですか」しか言っていない

話は、たいてい三つのどれかから始まります。

孫の運動会。病院の待ち時間。前の晩のテレビ。

私はその輪の外側に立って、うなずいています。

「うちの孫がね、リレーの選手に選ばれたのよ」

「あら、すごい」

「あそこの病院、朝七時に行っても三十番だって」

「そうなんですか」

「昨日の九時のやつ、見た?」

「……見てないです」

家に帰ってから気づきました。

その朝、私が口にしたのは「そうなんですか」と「あら」と「見てないです」だけでした。

自分の話を、ひとつもしていません。

したくなかったわけではないのです。

話が途切れた一瞬に、何を言えばいいのかが分からないだけでした。

言おうと思って息を吸うと、もう次の人が別の話を始めています。

私は六十歳です。

川沿いの町の、古い平屋の借家に、十四年住んでいます。

夫は六十四歳で、建材屋の倉庫に週に三日だけ通っています。

もうひとつ、私には恥ずかしくて言えないことがありました。

あの六人の名前が、半分も出てこないのです。

一年以上、毎朝顔を合わせているのに、はっきり言えるのは二人だけでした。

そのくせ、犬の名前なら全部言えます。

ごろう、ハッピー、チャコ、ラン、テツ、そしてうちのもなか。

犬種も、毛の色も、どの子がどの子に吠えるかも、頭に入っています。

人の名前だけが、どうしても入ってこないのです。

十月に入った日、私は夕飯のあとで夫に言いました。

「散歩、七時半にしようかしら」

「なんで」

「……道が、明るいから」

夫は茶碗を置いて、少しこちらを見ました。

「そうか」

それだけでした。

嘘をついたのは、私のほうです。

十八年前の、白い花

犬と歩くときに人の顔を見られなくなったのは、たぶん十八年前からです。

そのころ、うちにはハナという犬がいました。

娘が小学四年で、通学路の途中で拾ってきた犬です。

ある日曜日の夕方、私はハナを連れて、いつもの道を歩いていました。

角の家に、道に少しはみ出すように花壇がありました。

白い小さな花が、こぼれるほど咲いていました。

ハナが急に引っ張って、私が手を放してしまったのです。

気がついたときには、ハナは花壇のまん中に座っていました。

白い花が、四、五本、根元から折れていました。

家の窓が開いていて、中から人が出てくる気配がしました。

私は、ハナを抱き上げて、走って帰りました。

謝らずに、逃げたのです。

その晩、娘が玄関で靴を履きながら言いました。

「ママ、あやまってきて」

「……お母さん、明日、行くから」

「今じゃなきゃだめだよ。おばさん、見てたもん」

私は行けませんでした。

結局、その夜のうちに、夫が一人で頭を下げに行きました。

出ていくとき、夫は玄関で靴べらを探しながら言いました。

「おまえが行ったほうが、いいんじゃないのか」

「……足が、動かないの」

我ながら、みっともない言い訳でした。

帰ってきた夫は「なんてこともなかったぞ」とだけ言いました。

なんてこともない、ということが、余計にこたえました。

娘は、そのあと一度もその話をしませんでした。

しないでいてくれたことが、かえって長く残りました。

それから私は、犬を連れて歩くとき、下を向く癖がつきました。

角の家の前も、遠回りはしませんでしたが、足を速めて通るようになりました。

十八年、会釈だけの間柄のままです。

輪の外を歩く人

十月の半ばに、風の強い朝がありました。

その日は広場に人が少なくて、三人しかいませんでした。

私はいつもより早く輪を離れて、土手の道を上流のほうへ歩きました。

前を、年上の女の人が、柴犬を連れて歩いていました。

ごろうです。

飼い主の名前は、そのとき出てきませんでした。

追い抜くのも変なので、少し離れてついていく形になりました。

すると、その人が振り返って言いました。

「もなかちゃん、今日は速いのね」

うちの犬の名前でした。

「……覚えていてくださったんですか」

「犬の名前はね、全部言えるのよ」

その人は、風で乱れた髪を押さえながら笑いました。

「ごろうの飼い主の、谷本です。人の名前は、いまだに三人ぶんくらいしか覚えられないの」

七十三歳だと言いました。

ごろうと歩くようになって、もう九年になるそうです。

「谷本さんは、あの輪に入らないんですか」

「入らないわねえ。入ろうとした時期はあるのよ」

谷本さんは、川のほうを見ながら言いました。

「五年くらい前かしら。旅行のお土産をいただいてね。お返しをして、またいただいて。だんだん、散歩じゃなくなっちゃったの」

「それで、やめたんですか」

「やめたっていうか、降りたの。でも、挨拶はするのよ。犬の名前で」

「犬の名前で」

「そう。ハッピーちゃん、おはよう、って。飼い主さんの名前を間違えるより、よっぽどいいでしょう」

「間違えたこと、あるんですか」

「三回ね。三回目に、もういいやって思ったの」

私は、思わず笑ってしまいました。

自分が一年以上、ずっと恥じていたことを、この人はやり方に変えていたのです。

「あなた、いつも輪の中で、うんうんってうなずいてるわね」

「……はい」

「うなずいてるだけの人はね、けっこう見られてるのよ。悪い意味じゃなくて」

風が強くて、そのあとの言葉はよく聞こえませんでした。

手が二つでは、足りなかった

その日から、私はひとつ決めました。

輪に入る努力を、やめることにしたのです。

代わりに、六匹の名前を呼んで挨拶する。

長い話が始まった日は、広場を一周だけして帰る。

決めてみると、困ったのは、手のことでした。

犬の名前を呼びながら近づくには、相手の犬の顔の高さまで屈む必要があります。

ところが私は、右手にリード、左手にふんの袋と鍵とスマートフォンを持っていました。

上着のポケットは浅くて、屈むと中身がこぼれます。

十月の終わりに、一度やってしまいました。

チャコに「おはよう」と言いながら屈んだ拍子に、スマートフォンを落としたのです。

濡れた草の上に、画面を下にして落ちました。

拾い上げるあいだ、チャコの飼い主さんが袋を持っていてくれました。

家に帰って、玄関に立ったまま考えました。

必要なのは、両手が空くことでした。

それと、濡れた手でも開けられることです。

冬になれば、手袋をしたまま開け閉めすることになります。

大きさは、リードを持った腕が当たらないくらい小さいほうがいい。

散歩に持っていくのは、袋と鍵とスマートフォンと、小さなおやつだけです。

大きな鞄を提げて土手を歩きたくはありませんでした。

中に袋を入れるので、内側が拭けるものがいい。

その四つを、カレンダーの裏に書き出しました。

両手が空くこと。片手で開くこと。内側が拭けること。小さいこと。

書いてみると、値段のことは一度も出てきませんでした。

その紙を持って、駅の向こうの店に見に行きました。

いくつも並んでいるなかで、私は値札より先に、口の開け方を見ました。

片手で開くかどうかを、棚の前で何度も試しました。

店の人に「手袋をしたままでも開きますか」と聞いたら、奥から冬用の手袋を持ってきてくれました。

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帰りのバスで、袋から出して肩にかけてみました。

斜めにかけると、ちょうど腰の前に来ます。

これなら、屈んでも落ちません。

家で夫に見せると、「それ、小さすぎないか」と言われました。

「これでいいのよ。散歩は十五分だもの」

夫は「ふうん」と言って、それきり何も言いませんでした。

六匹の名前を、声に出す

十一月の最初の月曜日から、始めました。

広場に着いて、まず犬の名前を呼びます。

「ごろうちゃん、おはよう」

「ハッピー、おはよう。今日は元気ね」

「チャコちゃん、おはようございます」

はじめの二日は、自分の声が大きすぎる気がして、耳が熱くなりました。

三日目に、ランの飼い主さんが言いました。

「うちのランの名前、ちゃんと呼んでもらったの、久しぶり」

「そうなんですか」

「みんな『わんちゃん』って言うでしょう。ランはね、ランって呼ばれると、しっぽの振り方が違うのよ」

それから、その人は自分から名前を名乗ってくれました。

梶さん、と言いました。

一年以上、毎朝会っていた人の名前を、私はその日はじめて知ったのです。

「梶さん」

声に出して呼んでみると、その人は「はい」と返事をしました。

たったそれだけのことに、帰り道で何度も気持ちが戻りました。

不思議なことに、犬の名前で呼びはじめてから、話の輪も前ほど苦しくなくなりました。

うなずく位置は、相変わらず外側です。

でも、外側にいることが、前ほど恥ずかしくなくなりました。

長くなりそうな朝は、「お先に」と言って一周して帰ります。

帰る私に、誰も何も言いません。

言わないということが、こんなに楽なものだとは思いませんでした。

三本目の桜の下で

もなかには、決まった場所があります。

土手の三本目の桜の木です。

必ずそこで止まって、根元のにおいを三十秒ほど嗅ぎます。

何年も変わりません。

十一月の半ば、その桜の下で、うしろから声をかけられました。

「もなかちゃん、いつもここね」

振り返ると、ハッピーを連れた女の人が立っていました。

七十歳くらいの、背の低い人です。

「……はい。ここだけは、動かないんです」

「前の子も、そうだったでしょう」

心臓が、ひとつ跳ねました。

「前の子を、ご存じなんですか」

「白と茶色の、耳の垂れた子よね。うちの花壇に入った子」

角の家の人でした。

名前は、芝さんと言いました。

十八年、会釈だけしてきた相手が、いつのまにか、朝の広場にいたのです。

「あのときは、本当に、申し訳ありませんでした」

私は、桜の木の下で頭を下げました。

十八年かかって、やっと言えた言葉でした。

芝さんは、少し驚いた顔をしてから、手を振りました。

「怒ってたわけじゃないのよ」

「でも、花が」

「花なんて、また咲くもの」

そして、こう言いました。

「あのあとね、あなた、ずっと下を向いて通るようになったでしょう。それが気になってたの」

「……見ていらしたんですか」

「見てたっていうか、うちの窓から見えるのよ。声をかけようと思ったんだけど、こっちも、なんて言ったらいいか分からなくてね」

「どうして、今なんですか」

「あなたが、犬の名前を呼ぶようになったから」

芝さんは、ハッピーのリードを持ち直しました。

「下を向いてる人には、声をかけられないでしょう」

十八年、気にしていたのは、私だけではありませんでした。

「名前、聞いてもいい?」

「あ、はい。もなかです」

「あなたの名前よ」

私は、そこでやっと、自分の名前を言いました。

一月の朝、蛇口のところで

年が明けて、一月になりました。

大雪ではありませんが、朝の土手に霜が降りる日が増えました。

一月の第二週に、二日続けて散歩を休みました。

もなかが朝から布団から出たがらず、夫が「無理させるな」と言ったからです。

三日目の朝、広場に行くと、蛇口のところで谷本さんが待っていました。

「昨日と一昨日、もなかちゃん来なかったね」

「すみません。寒くて、動かなくて」

「謝ることないわよ。心配してたの、私だけじゃないから」

見ると、梶さんも、チャコの飼い主さんも、こちらを見ていました。

「二日も来ないと、みんな言うのよ。もなかちゃん、どうしたんだろうって」

犬の名前でした。

私の名前ではありません。

それでも、その朝はなぜか、うまく返事ができませんでした。

ポーチから袋を出すふりをして、少しのあいだ下を向いていました。

輪の中に入れたわけではありません。

孫の話も、病院の話も、いまだにうまく相づちが打てません。

名前を言えるようになったのは、六人のうち三人だけです。

けれど、六匹の名前なら、今も全部言えます。

三本目の桜は、まだ裸のままです。

春になったら、芝さんに、花壇の花の名前を聞いてみようと思っています。

あなたなら、どうしますか?

毎朝会う人の輪に入れないとき、あなたは時間をずらしますか。それとも、入らないままできることを探しますか。

名前で呼ぶ、会釈をする、天気の話を一言だけする。あなたが毎日続けられそうな「短い挨拶」は、どれですか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. 輪に入ることだけが、つながりではない

人付き合いというと、輪の中で笑っていることだと思いがちです。

けれど、毎朝会う相手が何人かいて、名前を呼び合えるなら、それはもうつながりです。

入れない自分を責めるより、入らないままできることを一つ決めるほうが、続きます。

続いた回数が、いつのまにか関係の長さになっていきます。

2. 覚えられないものは、覚えられるもので代える

人の名前が覚えられないことを、人柄の問題だと思っている人がいます。

けれど、覚えられるものは人によって違います。

犬の名前、顔、声、歩く時間。

自分が覚えていられるほうを入り口にすれば、挨拶は続けられます。

間違えて呼ぶのがこわくて黙ってしまうより、そのほうが相手にも伝わります。

3. 気にしていたのは、自分だけではないことがある

長いあいだ下を向いて通っていた道に、同じように気にしていた人がいることがあります。

謝れなかった、声をかけられなかった。

その気まずさは、たいてい両側にあります。

先に口を開いたほうが、十八年ぶんの重さを下ろせます。

ただし、下ろせるのは自分の側の重さだけで、相手がどう思っていたかは、聞いてみるまで分かりません。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(両手が空く・片手で開け閉めできる・内側が拭ける・散歩の十五分に持つ最小限が入る大きさ)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

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この記事について

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※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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