人とのつながり
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友達との旅行で気を使う60代。年に二度の一泊を十年続けた65歳の私が、二日目の午前だけ別々に歩いた秋

ベンチに並んで話す二人の後ろ姿
kuroko

二日目の十二時、駅前の大きな時計の下でした。

先に着いていた絹代さんが、私を見つけて手を上げました。

そして、こう言いました。

「楽しかった?」

私は、返事をする前に、少しのあいだ絹代さんの顔を見ていました。

十年のあいだ、その言葉を言うのは、いつも私のほうだったからです。

楽しかった、と言われるために、私は旅に行っていたのかもしれません。

その日の午前、私たちは三時間だけ、別々に歩いていました。

予定表は、いつも絹代さんの字でした

私は六十五歳です。

夫は六十七歳で、今は週に三日だけ、前の勤め先に通っています。

娘は結婚して、車で三時間ほどの町にいます。

家は、駅からバスで十五分のところにある、築三十七年の一戸建てです。

絹代さんと知り合ったのは、十一年前でした。

スーパーの惣菜売り場のパートで、同じ時間帯に入っていたのです。

絹代さんは二つ上で、手が速くて、段取りのいい人でした。

閉店前の値引きのシールも、あの人が貼ると列が乱れませんでした。

二人とも辞めてから、年に二回、一泊の旅に行くようになりました。

春に一回と、秋に一回。

今年でちょうど十年になります。

旅の前には、いつも絹代さんから封筒が届きました。

中には、手書きの予定表が入っています。

八時十分の電車。十時四十分に着いて、まず市場。十二時に昼食の店。

分刻みではありませんが、どこで何を食べるかまで、全部書いてあります。

裏には、お店の休みの日まで調べてありました。

私は、その紙を見て、いつも同じことを言っていました。

「すごいわね。いいわね、ここ」

「いいわね」は、私の口ぐせでした。

十年で、何回言ったでしょう。

「怒ってる?」と聞かれた帰りの電車

三年前の秋の旅で、私は足を痛めていました。

出かける三日前に、家の階段を踏み外していたのです。

行かないという選択もありました。

でも、宿はもう取ってありましたし、絹代さんは楽しみにしていました。

当日、駅で会ったとき、絹代さんが聞きました。

「足、大丈夫なの」

「大丈夫よ。もう治ったから」

治っていませんでした。

その日は、坂の多い町でした。

午前に二時間、午後に三時間歩きました。

石畳の坂を下りるとき、私は手すりを探していました。

絹代さんは前を歩いていて、振り返るたびに「こっち、こっち」と言いました。

夕方の五時に、その日の最後のお店に着きました。

ガラスの工房でした。

「ここね、私、ずっと来たかったの」

絹代さんはそう言って、中に入っていきました。

私は、入り口の段差の前で、足をかばって立っていました。

「先に入ってて。すぐ行くから」

結局、閉店まで、私は入り口のベンチに座っていました。

帰りの電車の中で、私は一言もしゃべりませんでした。

窓の外を見ているふりをして、目を閉じていました。

大宮を過ぎたあたりで、絹代さんが言いました。

「ねえ。怒ってる?」

私は、驚いて絹代さんの顔を見ました。

「怒ってないわよ。どうして」

「今日、あんまりしゃべらないから」

「疲れただけ」

疲れただけ、と言いました。

足が痛いとは、最後まで言いませんでした。

その日から、帰りの電車で口数が減ることが、私は少しこわくなりました。

同じ部屋で、眠れなかった十年

言えなかったことは、もう一つあります。

宿の部屋のことです。

十年、私たちはいつも同じ部屋に泊まっていました。

二人だと、そのほうが安く上がります。

絹代さんは、布団に入って五分もすると寝てしまう人です。

私は、そうではありません。

家でも、寝つくまでに一時間近くかかります。

枕が変わると、二時間かかる日もあります。

絹代さんは、寝る前にテレビをつけたままにする癖がありました。

音を小さくして、画面だけが光っている状態で眠ってしまうのです。

私は、暗くならないと眠れません。

けれど、消していいかとは聞けませんでした。

自分で消しに行くと、起こしてしまう気がしたのです。

眠ってからは、少し大きないびきをかきます。

これも、十年、一度も言ったことがありません。

夜中の二時に、天井を見ていた回数を、私は数えていません。

翌日の午前、頭が重いまま歩くのが、いつのまにか当たり前になっていました。

思い出したのは、二十代のころの社員旅行です。

四人で一部屋でした。

私は、畳の隅で、寝返りも打たずに朝まで横になっていました。

音を立てると、誰かが目を覚ます気がしたのです。

あのときから、四十年たっていました。

私は、同じことをしていました。

「一度も聞いたことなかったね」

今年の八月の終わりに、絹代さんと駅前の喫茶店で会いました。

秋の旅の相談です。

いつものように、絹代さんは紙を広げました。

候補が三つ書いてあって、それぞれの下に、電車の時間まで書いてありました。

「どこがいい」

「いいわね、どれも」

私がそう言うと、絹代さんは紙から顔を上げました。

そして、少し黙ってから言いました。

「私ね、あなたが行きたいところ、一度も聞いたことなかったね」

私は、すぐには返事ができませんでした。

「いつも、私が決めてるでしょう」

「決めてくれて助かってるわよ。私、そういうの苦手だし」

「そうじゃなくてね」

絹代さんは、コーヒーのカップを両手で持ちました。

「あなたが黙って歩いてると、私、つまらないのかと思うのよ。だから、予定をどんどん足してたの」

予定を足す。

三年前の秋、午後に三つも寄り道が増えたのは、そういうことだったのです。

私が無口になるたび、絹代さんは行き先を増やしていました。

私が気を使って黙り、絹代さんが気を使って予定を足す。

十年、私たちはそれを繰り返していたことになります。

「絹代さん」

私は、言おうか迷って、結局こう言いました。

「二日目の午前だけ、別々に歩いてみない」

言ってから、心臓が鳴りました。

絹代さんは、目を丸くしました。

「別々に?」

「うん。十二時に、どこかで待ち合わせて」

「なんで」

「私、市場より、古い建物を見るのが好きなの」

絹代さんは、しばらく紙を見ていました。

それから、鉛筆で二日目の午前の欄に、大きな斜めの線を引きました。

「じゃあ、ここは白紙ね」

宿を選んだ、三つの条件

宿は、今回は私が探すことになりました。

十年で、初めてです。

条件を三つ決めました。

一つ目は、駅から歩けること。

二日目の午前に、私が一人で町を歩いて、十二時に駅前に戻れることが要ります。

二つ目は、朝食の時間が選べること。

絹代さんは朝がゆっくりで、私は早いのです。

これまでは、私が絹代さんに合わせて、八時半まで部屋で本を読んでいました。

三つ目は、部屋に寝るところが二つ離れてあることでした。

布団を並べて敷く和室ではなく、ベッドが二つ、離して置いてある部屋です。

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三つ目を打ち込むときに、少し手が止まりました。

十年、同じ部屋で寝てきた相手に、距離を置きたいと言っているようで、うしろめたかったのです。

けれど、これは絹代さんが嫌いだという話ではありません。

私が、眠れていないという話です。

その二つは、まったく別のことでした。

耳が、痛くならないもの

部屋が決まっても、私にはもう一つ、決めることがありました。

暗さと、音です。

ベッドが離れていても、テレビの光は届きます。

「消していい?」と毎晩聞くのも、自分でやめようと決めました。

聞かなくていいようにすれば、聞かずにすみます。

目を覆うものを探しに行きました。

売り場には、いろいろな形のものが並んでいました。

私が決めた条件は、三つです。

横を向いて寝ても、押されて痛くならないこと。

鼻のところに隙間ができず、明かりが入らないこと。

洗えること。

宿のものを借りて、そのまま使うのは気が進みませんでした。

これから何度も使うのなら、自分のものがいいと思ったのです。

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耳のほうは、もっと迷いました。

音を全部消してしまうのは、こわかったのです。

夜中に絹代さんが起きて、何か言ったとき、聞こえないのは困ります。

それで、条件はこうしました。

耳の中で膨らみすぎず、横を向いても痛くならないこと。

近くの声やノックは聞こえるくらいの、遮る力が強すぎないもの。

小さな入れ物がついていて、鞄の中で行方不明にならないこと。

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家で三晩、試してみました。

三晩目に、絹代さんに電話をしました。

「あのね。私、耳栓して寝るから。夜中に何かあったら、肩を叩いてね」

絹代さんは、笑って言いました。

「それ、もっと早く言ってくれてもよかったのに」

「言えなかったのよ」

「いびき、うるさかったでしょう」

「……少しね」

十年目にして、初めての会話でした。

二日目の朝、七時

旅の日は、十月の第二週でした。

一日目は、いつもどおりです。

絹代さんの予定表のとおりに歩いて、市場でお昼を食べて、夕方に宿に入りました。

部屋のベッドは、間に小さな机をはさんで、離して置いてありました。

九時半に、絹代さんはテレビをつけたまま横になりました。

私は、アイマスクをして、耳栓をしました。

真っ暗になりました。

音が遠くなって、自分の息の音だけが残りました。

それでも、寝つくまでには一時間かかりました。

そこは、家と同じでした。

けれど、目が覚めたのは、朝の六時でした。

途中で起きなかったのは、十年で初めてだったかもしれません。

七時に、一人で朝ごはんを食べました。

絹代さんの分は、八時半で頼んであります。

部屋に戻って、鞄から小さな手提げだけを出しました。

「行ってくるわね。十二時に、時計の下で」

布団の中から、絹代さんが手だけを出して振りました。

外に出たのは、七時四十分でした。

町は、まだ静かでした。

私が見たかったのは、古い郵便局の建物です。

宿を探しているときに、たまたま写真が出てきたのです。

石の柱が四本あって、上のほうに丸い窓がありました。

着いてみると、中は資料の置き場になっていて、九時からでないと開きませんでした。

それで、開くまで、まわりを三周しました。

三周とも、違うところを見ていました。

一周目は建物の形、二周目は窓の桟、三周目は足元の石です。

誰も待っていないので、三周してもいいのです。

九時に中へ入って、四十分いました。

昔の電話交換の机が、そのまま置いてありました。

受付の男の方が、頼んでもいないのに説明を始めました。

「この机はね、うちの町に電話が十四台しかなかったころのものです」

十四台。

私はその数字を、帰りの電車で思い出すことになります。

そのあと、川のほうへ歩きました。

途中に、開いたばかりのパン屋がありました。

外に椅子が二つ出ていて、私はそこに座って、あんパンを一つ食べました。

十一時でした。

誰にも「そろそろ行く?」と聞かなくていい十一時が、こんなに長いとは思いませんでした。

「楽しかった?」

十二時、駅前の時計の下に戻りました。

絹代さんは、先に着いていました。

そして、「楽しかった?」と、先に聞いてきました。

「楽しかった。古い郵便局に行ったの」

「へえ」

「絹代さんは?」

絹代さんは、少し照れたような顔をしました。

「私ね、喫茶店にいたの。三時間」

「三時間も?」

「うん。手紙、書いてた」

絹代さんには、施設に入っているお姉さんがいます。

前に一度だけ、聞いたことがありました。

「毎月、書いてるの。でも、家だといろいろ用事があって、なかなか書けないのよ」

私は、何も知らずに十年、この人と旅をしていたのだと思いました。

昼ごはんは、駅の近くの、どこにでもありそうなお店に入りました。

予定表には載っていないお店です。

絹代さんが「ここでいい?」と聞いて、私が「いいわね」と答えました。

その「いいわね」は、十年のうちで、いちばん軽い「いいわね」でした。

帰りの電車で、私は電話が十四台しかなかったころの話をしました。

絹代さんは「十四台って、誰にかけるのよ」と笑いました。

私たちは、上野に着くまで、ずっとしゃべっていました。

「一つでいいのよ」

十一月に入って、絹代さんから電話がありました。

春の旅の相談です。

「三月か、四月ね。どこがいい」

私は、受話器を持ったまま、少し考えました。

行きたいところは、一つしか浮かびませんでした。

以前、テレビで見た、水路のある町です。

「水路のある町に行きたいの。でも、それだけなのよ。あとは絹代さんが決めて」

絹代さんは言いました。

「一つでいいのよ。私だって、行きたいところなんて、いつも一つしかないもの」

そうだったのか、と思いました。

十年、あの分刻みの紙には、行きたいところが一つと、埋めるための予定が十あったのです。

「じゃあ、二日目の午前は」

私が言いかけると、絹代さんが先に言いました。

「白紙でしょう。もう線、引いといたわ」

アイマスクと耳栓は、洗って、旅行鞄の内ポケットに入れたままにしてあります。

次に使うのは、三月か、四月です。

それまでのあいだに、私は行きたいところを、もう一つ思いつけるでしょうか。

電話を切る前に、絹代さんが言いました。

「ねえ。次は、あなたが紙を書いてみない」

あなたなら、どうしますか?

次の旅で、あなたが行きたい場所を一つだけ言うとしたら、どこですか。

そして、その旅の中で「一人で過ごす時間」を作るとしたら、何時から何時までにしますか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. 気を使っているのは、たぶん向こうも同じ

こちらが黙るほど、相手は「つまらないのかもしれない」と思います。

そして、よかれと思って予定を足します。

気を使い合っているときほど、二人は同じことを別々に考えています。

2. 「やめる」より前に、「削る」ことができる

合わないと思ったとき、旅そのものをやめる必要はありません。

一泊二日のうち、三時間だけ別にする方法があります。

やめると決めるのは、いちばん最後でいいのです。

3. 言えなかったことの多くは、相手を嫌いだという話ではない

眠れない、疲れた、足が痛い。

そのどれも、相手への文句ではなく、自分の体の話です。

その二つを分けて伝えられると、言葉はずいぶん軽くなります。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(横を向いても痛くならない・明かりが入らない・洗える/遮る力が強すぎない・小さな入れ物がついている)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

同じ部屋で使うアイマスク

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  • 販売ページの記載:立体(3D)の形・鼻のところから光が入りにくい作り・サイズ調整ができる
  • 販売ページの記載:耳栓が付属する
  • 選ぶときは、横を向いても痛くないか・光の入り方・洗えるかを見ると選びやすくなります。

音を遮りすぎない耳栓

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  • 販売ページの記載:シリコン製・1ペア・水洗いして繰り返し使える
  • 販売ページの記載:遮音の目安はSNR24dB
  • 選ぶときは、素材のやわらかさ・遮音の強さ・洗えるかを見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

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この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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