孫を預かるのに疲れた、と言えなかった63歳。週三日の「おばあちゃんの日」から、私が水曜日を外した秋
「お母さんがいてくれて、本当に助かる。お母さんがいなかったら、私、とっくに仕事を辞めてたと思う」
娘がそう言ったのは、去年の暮れのことでした。
孫を預かるようになって、もう三年になります。
私は「いいのよ、近いんだから」と答えて、笑いました。
その言葉は、うれしかったのです。
本当に、うれしかったのです。
ただ、その日から、「疲れた」と言うのが、前より少し難しくなりました。
六十三歳です。
夫は六十六歳で、二年前に仕事を辞めました。
娘の美穂は三十六歳で、歩いて十分のマンションに、夫と子ども二人と住んでいます。
月・水・金は、おばあちゃんの日
孫は二人います。
小学三年生の姉の葵と、一年生の弟の蓮です。
月曜と水曜と金曜は、私が学童に迎えに行きます。
五時に学童の玄関で二人を受け取って、家に連れて帰ります。
宿題を見て、夕飯を食べさせて、七時半に娘が迎えに来るまで預かります。
葵が一年生になったときに、娘に頼まれて始めたことでした。
最初は、週に一回の約束でした。
それが二回になり、娘の職場が変わった去年から、三回になりました。
孫はかわいいのです。
「おばあちゃん!」と言って走ってくる蓮の顔を見ると、一日の疲れなど忘れる気がします。
葵は、学童であったことを、帰り道にずっと話してくれます。
それなのに、金曜日の夜になると、私はいつも台所の椅子から立ち上がれなくなっていました。
二人が帰ったあとの台所には、茶わんが五つと、ランドセルから出てきたプリントの束と、床に落ちたご飯粒が残っています。
それを片付けるのに、三十分かかります。
気がつけば、私の一週間は、孫の曜日で決まっていました。
歯医者の予約は、火曜か木曜。
美容院も、火曜か木曜。
友人からの食事の誘いも、月・水・金なら断ります。
断る言葉は、いつも同じでした。
「ごめんね、孫の日なの」
「おばあちゃん、怒ってる?」
八月の終わりの水曜日のことです。
夏休みで、学童は朝からでした。
その日は朝から蒸し暑くて、私は昼過ぎから頭が重く感じていました。
五時に迎えに行くと、蓮が学童で友だちとけんかをしたらしく、ずっと機嫌が悪いままでした。
家に帰っても、宿題を開こうとしません。
葵は葵で、テレビをつけたまま、夕飯の前にお菓子の袋を開けていました。
「葵、ご飯の前でしょう。蓮も、宿題」
二回言っても、三回言っても、二人とも動きませんでした。
四回目に、私は大きな声を出してしまいました。
「いいかげんにしなさい! おばあちゃんだって、疲れてるのよ!」
居間が、しんとしました。
蓮の目に、みるみる涙がたまりました。
葵がテレビを消して、小さな声で言いました。
「おばあちゃん、怒ってる?」
私はすぐに、「怒ってないわよ」と言いました。
でも、怒っていたのです。
孫にではありません。
疲れたと言えないまま、声だけ大きくなった自分にです。
その夜、二人を迎えに来た娘に、葵が言いました。
「今日、おばあちゃんに怒られた」
娘は「何したの」と葵に聞いて、それから私の顔を見ました。
「お母さん、ごめんね。うるさかったでしょう」
「いいのよ。暑かったからね」
私は、また笑ってごまかしました。
娘の車が角を曲がって見えなくなってから、玄関で長いため息をつきました。
疲れた、の一言が出てこない
その夜、夫がお風呂上がりに台所に来て言いました。
「今日、でかい声が聞こえたな」
夫は、孫が来る日は二階の自分の部屋にいることが多いのです。
「蓮がね、宿題をしなくて」
「お前、顔が疲れてるぞ。最近ずっとだ」
「疲れてなんかないわよ」
「そうか」
夫は冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注ぎながら言いました。
「美穂に言えばいいだろう。週に三回はきついって」
「言えるわけないでしょう。あの子、仕事を続けられなくなったら困るのよ」
「困るかどうかは、美穂が決めることだ」
夫はそれだけ言って、二階へ上がっていきました。
分かっていました。
でも、「疲れた」と言ったら、これまでの三年が、嫌々やっていたことになってしまう気がしたのです。
「助かる」と言われたあの暮れの言葉を、自分で取り消すような気がしたのです。
「水曜日は、何してるの?」
九月のはじめの月曜日のことです。
夏休みが終わって、葵が学校から宿題を持って帰ってきました。
「おばあちゃん、これ手伝って。家の人の一週間を聞いてくる宿題」
プリントには、月曜から日曜までの表がありました。
「お母さんは、月曜から金曜まで仕事。土曜は買い物」
葵は娘の欄を埋めてから、私の顔を見ました。
「おばあちゃんは?」
「おばあちゃんはね、月曜と水曜と金曜は、葵と蓮のお迎え」
葵は、鉛筆で「おむかえ」と三つ書きました。
「火曜と木曜は?」
「お買い物とか、お掃除とか」
「じゃあ、水曜は? お迎えの前は、何してるの?」
私は、答えられませんでした。
水曜日の昼間、私は何をしていたのでしょう。
洗濯をして、買い物に行って、夕飯の下ごしらえをして、それから、時計を見ながら五時を待っていました。
「……二人を待ってるのよ」
「待ってるだけ?」
葵は、不思議そうに首をかしげました。
悪気はまったくありません。
九歳の子にとっては、ただの質問です。
葵はしばらく考えて、水曜日の欄に「まつ」と書きました。
その二文字を、私はずっと覚えています。
娘に言った日
その週の金曜日、迎えに来た娘を、玄関で呼び止めました。
子どもたちは、先に車に乗っていました。
「美穂、ちょっといい?」
「なに?」
「来月から、水曜日だけ、お迎えを休ませてもらえないかしら」
言ってしまってから、心臓がどきどきしました。
「水曜日は、私の曜日にしたいの。嫌になったわけじゃないのよ。ただ、一日だけ」
娘は、しばらく黙っていました。
それから、言いました。
「……お母さん、疲れてたでしょう。ずっと」
「え」
「八月のあの日、葵から聞いたの。おばあちゃん、疲れてるって言ってたって」
私は、何も言えませんでした。
「私ね、言ってくれるのを待ってたの。私から『週二回でいいよ』って言うと、お母さん、『大丈夫よ』って言うでしょう」
娘は、少し笑いました。
「水曜日は、学童の延長にする。うちの職場、水曜は早く上がれる日もあるし」
「ごめんね」
「謝ることじゃないよ。三年間、週に三回も。ありがとう」
車に戻っていく娘の背中を見ながら、私は玄関の明かりの下に立っていました。
胸の奥の固いものが、少しだけゆるんだ気がしました。
家に入ると、夫が居間から顔を出しました。
「言ったのか」
「言った。水曜日だけ」
「そうか」
夫は、それだけ言って新聞に目を戻しました。
少しして、新聞の向こうから声がしました。
「水曜日、どこか行くなら、駅まで送るぞ」
「歩いて行くわよ。十五分だもの」
そう答えながら、私は、水曜日にどこへ行くのかをまだ何も決めていないことに気がつきました。
水曜日の午後
十月の最初の水曜日、私は午後一時に家を出ました。
行き先は、駅の向こうの図書館と、その隣の喫茶店です。
図書館では、ずっと読みたかった長い小説の、上巻だけを借りました。
途中で閉じるのが嫌で、この三年、手に取らなかった本です。
喫茶店の窓ぎわに座って、それを開きました。
窓の外には、線路の向こうの家の柿の木が見えました。
最初の三十分は、つい時計を見てしまいました。
五時に迎えに行かなくていいと分かっていても、目が時計にいくのです。
四時を過ぎた頃、ようやく本の中に入れました。
それでも、四時四十五分になると、体が勝手に椅子から腰を浮かせかけました。
三年間、毎週その時刻に、学童へ向かって家を出ていたのです。
私は座り直して、紅茶をもう一杯頼みました。
家に帰ったのは、五時半でした。
いつもなら、孫の靴が玄関に並んでいる時刻です。
その日は、夫の靴だけがありました。
「どうだった」
居間から、夫が聞きました。
「本を読んできたの。四時まで、時計ばかり見てたけど」
「そうか。最初はそんなもんだ」
夫は、二年前に仕事を辞めたとき、自分も最初の一か月は時計ばかり見ていたと話してくれました。
そんな話を聞くのは、初めてでした。
一緒にやる遊びを、一つだけ
水曜日を休むようになってから、月曜と金曜の過ごし方も、少し変えました。
預かる日には、「一緒にやる遊び」を一つだけ決めておくことにしたのです。
それまでは、二人が帰ってくると、宿題、夕飯、片付けの繰り返しでした。
私は台所に立ちっぱなしで、孫の顔をちゃんと見るのは、「宿題は?」と聞くときくらいでした。
何をしようかと考えて、思い出したのが、お手玉でした。
子どもの頃、祖母に教わって、夕方になると縁側でよくやっていたのです。
娘が小さい頃にも教えようとしましたが、いつの間にかやめてしまいました。
探してみると、昔のお手玉は、どこにもありませんでした。
それで、新しく用意することにしました。
条件は三つでした。
小学生の手に、ちょうど収まる大きさであること。
布でできていて、ぶつかっても痛くないこと。
縫い目がしっかりしていて、中身がこぼれにくいこと。
子どもの頃、祖母のお手玉の縫い目がほどけて、中の小豆が畳に散らばったことがあったのです。
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月曜日、二人の前で三つ投げて見せると、蓮が目を丸くしました。
「おばあちゃん、なんでできるの」
「子どもの頃、毎日やってたからよ」
二人はすぐにまねをしましたが、一つめを投げたところで、二つめを落としてしまいます。
葵は三回目で、悔しそうに口をとがらせました。
蓮は、落ちたお手玉を拾いながら、ずっと笑っていました。
十五分だけ、と決めていたのに、気がつくと三十分たっていました。
その日、宿題はいつもより早く終わりました。
終わったら、またお手玉ができるからです。
七時半のあとの一杯
もう一つ、決めたことがあります。
七時半に二人が帰ったあと、台所を片付ける前に、自分のために一杯だけ何かを淹れることです。
それまでは、孫の残したおやつを、流しの前で立ったままつまんで終わりでした。
それが、預かる日の私の夕方の終わり方でした。
緑茶は、昼間に夫と何杯も飲んでいます。
コーヒーは、夜に飲むと寝つけなくなる気がして、夕方からは飲まないことにしています。
それで、ハーブティーを探しました。
条件は三つでした。
カフェインが入っていないこと。
ティーバッグで、一杯ずつ淹れられること。
香りが強すぎないこと。
夫が、においの強いものを苦手にしているからです。
店で箱の裏の表示を読んで、原材料を確かめてから選びました。
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七時半に玄関で二人を見送って、やかんに火をかけます。
お湯が沸くまでのあいだに、食卓のお手玉を三つ、かごに戻します。
それから椅子に座って、一杯を飲み終えるまで、片付けはしません。
流しの茶わんは、十五分待っていても、どこへも行かないのです。
「水曜日のおばあちゃんの話、聞かせて」
十月の終わりの金曜日、お手玉をしながら、葵が言いました。
「ねえ、おばあちゃん。水曜日のおばあちゃんの話、聞かせて」
「水曜日の?」
「お迎えに来ない日、何してるのか。宿題の表、書き直したいの」
私は、図書館の長い小説の話をしました。
喫茶店の窓から、線路の向こうの柿の木が見えることも話しました。
上巻を読み終えるのに、水曜日を四回使ったことも。
葵は鉛筆を持って、水曜日の欄の「まつ」を消しゴムで消しました。
そして、少し考えてから、「本をよむ」と書き直しました。
蓮が横から、「ぼくも水曜日、図書館いきたい」と言いました。
「それは、春休みになったらね」
私がそう言うと、蓮は口をとがらせて、またお手玉を投げ始めました。
疲れる日は、今もあります。
金曜の夜は、やっぱり椅子から立ち上がるのに時間がかかります。
娘に「今週だけ水曜もお願い」と頼まれて、引き受けた週もありました。
断ると悪い気がする気持ちも、まだどこかに残っています。
十一月になって、喫茶店の窓から見える柿の木の実が、全部なくなりました。
十二月には、下巻を借りました。
年が明けて一月の水曜日、図書館の帰りに、友人と昼ごはんを食べました。
何度も断ってきた誘いに、初めて「水曜なら行ける」と返事ができたのです。
二月、蓮がお手玉を二つ、落とさずに回せるようになりました。
葵は、三つです。
三月の終わりの水曜日、喫茶店の窓の外で、柿の木の枝に小さな芽が出ているのが見えました。
私は、次の水曜日に何を借りるかを考えながら、本のページをめくりました。
あなたなら、どうしますか?
誰かのための曜日と、自分のための曜日。あなたの一週間には、その両方がありますか。もし一日だけ自分の曜日にするとしたら、何曜日を選びますか。
「疲れた」と言うかわりに、「一日だけ、私の日にしたい」と伝えるとしたら、あなたは誰に、どんな言葉で切り出しますか。
今週、ひとつだけ決めるなら
ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。
この物語から、考えたいこと
1. かわいいことと、疲れることは、両方ほんとう
孫はかわいい。
それでも、週に三回、夕方から夜まで預かれば、体も気持ちも疲れます。
疲れたと言うことは、これまでの時間を取り消すことではありません。
2. 言われるのを待っている人もいる
主人公の娘は、母が疲れていることに気づいていました。
自分から「減らしていいよ」と言うと、母が「大丈夫」と言うのも分かっていました。
頼んでいる側も、言い出してもらえるのを待っていることがあります。
3. 預かる日にも、「一緒にやること」を一つ
預かる日が、宿題と夕飯と片付けだけで埋まってしまうことがあります。
一緒にやる遊びを一つだけ決めておくと、同じ二時間半でも、孫の顔を見る時間が少し増えます。
そして、帰ったあとの十五分を、自分のために取っておいてもいいのです。
振り返りチェック
当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。
印をつけた数:
数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。
この物語に登場したもの
ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(お手玉=小学生の手に収まる大きさ・布製でぶつかっても痛くない・縫い目がしっかりしていて中身がこぼれにくい/ハーブティー=カフェインが入っていない・ティーバッグで一杯ずつ淹れられる・香りが強すぎない)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。
孫と一緒にやる、布のお手玉
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- 販売ページの記載:5個入り・大きさは幅と長さと高さが約6cm
- 販売ページの記載:生地はちりめん友禅(レーヨン・ポリエステル)・中身は再生プラスチック・日本製
- 選ぶときは、大きさ(手に収まるか)・中身の素材・個数を見ると選びやすくなります。
七時半のあとに一杯ずつ淹れる、カフェインのないハーブティー
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- 販売ページの記載:原材料はジャーマンカモミール(花部)・原産国はエジプト
- 販売ページの記載:1.5g×50ティーバッグ・ノンカフェイン
- 選ぶときは、原材料・カフェインの有無・入り数を見ると選びやすくなります。
※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。
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この記事について
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※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。