息子が実家に帰ってこない。寂しいと言えなかった62歳の私が、最初にやめたこと
「また今度ね。それまで元気でね」
駅の改札で、私は息子にそう言いました。
夕方の新幹線に乗る息子は、少し驚いたような顔をして、それから小さく手を上げました。
「うん。母さんも」
背中が人の波にまぎれて見えなくなるまで、私はそこに立っていました。
寂しくなかったと言えば、嘘になります。
泊まらずに、たった一日で帰っていく息子です。
それでも、一年前の私なら、この一言は出てこなかったと思います。
きっと、こう言っていました。
「もう帰るの?」
そして、そのひと言が息子の足を遠ざけていたことに、気づきもしなかったはずです。
これは、私が「聞くこと」をやめるまでの話です。
既読から、三日
「今年のお正月は帰れそうにない。仕事が入った」
息子からのLINEは、それだけでした。
私が「お正月はどうするの?」と送ったのは、十一月の終わりです。
既読がついたのはその日の夜でした。
返事が来たのは、三日後の昼です。
私は台所で、煮物の鍋に火をかけたまま、その短い文を何度も読みました。
「そう。本当に帰れないの?」
そこまで打って、送れずに、しばらくスマホを握ったまま動けませんでした。
鍋の蓋がことこと鳴って、ようやく火を止めました。
返事は、打ちかけのまま、何日も置いたままになりました。
私は六十二歳です。
地方の町の団地で、夫と二人で暮らしています。
息子の拓也は三十一歳。
大学を出て東京の会社に入り、もう九年になります。
最初の数年は、お盆とお正月には必ず帰ってきていました。
駅まで迎えに行くと、大きなリュックを背負って改札から出てくる。
その姿を見るのが、一年のうちで一番の楽しみでした。
それが一回減り、二回減り、ここ二年は一度も帰ってきていません。
「男なんて、そんなもんだ。放っておけ」
夫は新聞から目を上げずに言います。
夫は昔から口数の少ない人で、息子とも用がなければ話しません。
でも、私は放っておけませんでした。
「元気にしてる?」
「ごはん、ちゃんと食べてる?」
「寒くなったけど、風邪ひいてない?」
「次はいつ帰ってくるの?」
週に三回か四回、そんなLINEを送っていました。
返事は、猫がうなずいているスタンプがひとつ。
そのスタンプすら来ない日のほうが、だんだん多くなっていきました。
二年前の、最後の夕食
息子が最後に帰ってきたのは、二年前のお正月でした。
私は張り切って、息子の好きな筑前煮と、ぶりの照り焼きを作りました。
三人で食卓を囲むのは、一年ぶりです。
私は、聞きたいことが山ほどありました。
「仕事はどう? 忙しいの?」
「うん、まあ」
「東京のお部屋、寒くない?」
「大丈夫」
「そういえば、いとこの真由美ちゃん、二人目が生まれたのよ」
息子の箸が、少しだけ止まりました。
「拓也は、誰かいい人いないの?」
「……いないよ」
「お母さん、別に急かしてるわけじゃないのよ。ただ、ほら、真由美ちゃんのところなんて」
「母さん」
息子は、静かに言いました。
「俺、明日の昼には帰るわ。仕事、残ってるから」
予定では、三日いるはずでした。
次の日の昼、私は駅まで送りながら、何度も同じことを言いました。
「もう帰るの? せっかく来たのに」
息子は「うん」とだけ答えて、改札の向こうに消えていきました。
あのとき私は、息子が本当に忙しいのだと思っていました。
自分の言葉が、どう届いていたのか。
考えてみようともしませんでした。
「全部、質問で終わってるのよ」
同じ団地の三階に、和子さんという友人がいます。
年は私より二つ上で、ゴミ出しの当番が一緒になったのがきっかけで、仲良くなりました。
十二月のはじめ、集会所の掃除のあとに、二人でお茶を飲んでいたときのことです。
「拓也くん、お正月は?」
和子さんに聞かれて、私は首を振りました。
「今年も帰らないって。もう二年よ」
言ってしまってから、急に目の奥が熱くなりました。
誰にも言っていなかったのです。
夫にも、寂しいとは一度も言ったことがありませんでした。
「私ね、何か嫌われるようなことをしたのかしらって、ずっと考えてるの」
和子さんは、湯のみを両手で包んだまま、しばらく黙っていました。
それから、少し笑って言いました。
「あなたが悪いわけじゃないのよ。うちもね、前は全然帰ってこなかったの」
和子さんには、大阪で暮らす娘さんがいます。
「でもある時、娘に言われたのよ。『お母さんのLINE、全部質問で終わってるんだよね』って」
「質問?」
「そう。元気? 食べてる? いつ帰るの? って。言われて見返したら、本当にそうだったの」
私は思わず、手元のスマホを開きました。
息子とのトーク画面を、上へ、上へとさかのぼっていきます。
元気にしてる?
ごはん食べてる?
風邪ひいてない?
いつ帰ってくるの?
私の吹き出しは、ほとんどすべて、はてなマークで終わっていました。
息子の吹き出しは、スタンプか、「うん」か、「大丈夫」。
画面の右側だけが、長い列になっていました。
「質問ってね、返事をしなきゃいけないでしょう」
和子さんは、ゆっくり言いました。
「忙しいときには、それが宿題みたいに見えるんだって。開くたびに、宿題が増えていくの」
宿題。
私は、あのお正月の夕食を思い出していました。
仕事はどう。部屋は寒くない。いい人はいないの。
あの食卓でも、私は息子に宿題ばかり出していたのです。
「だから私、聞くのをやめたの」
和子さんは言いました。
「『いつ帰ってくるの』だけは、もう聞かないって決めたのよ」
はてなマークを使わない一行
その夜、夫が寝たあとで、私は台所の椅子に座ってスマホを開きました。
打ちかけのままの返事が、まだ残っていました。
でも、打ち始めると、指が勝手にはてなマークを探します。
「お正月、本当に帰れないの?」
消しました。
「仕事、そんなに忙しいの?」
消しました。
「お母さん、何か悪いこと言った?」
これも、消しました。
三十分ほど、打っては消し、打っては消しを繰り返しました。
聞かずに何かを伝えるのが、こんなに難しいとは思いませんでした。
結局、送ったのはこれだけです。
「お正月のこと、了解です。無理しないでね。返事はいらないよ」
はてなマークを、ひとつも使わずに送りました。
送信ボタンを押したあと、なぜか少しだけ肩が軽くなりました。
返事を待たなくていい文を送ったのは、たぶん初めてでした。
それから、私は「いつ帰ってくるの?」と聞くのをやめました。
代わりに、月に一度、荷物を送ることにしました。
中身は、地元のお米と、拓也が子どもの頃に好きだった白菜の漬物です。
そこに、短い手紙を一枚だけ添えることにしました。
最初は、引き出しにあった便箋に書き始めました。
ところが、書いているうちに二枚目に入ってしまいました。
最近はどうしているのか。ちゃんと食べているのか。お部屋は寒くないのか。
気がつくと、また質問ばかりが並んでいました。
これでは、LINEと同じです。
はがきも考えましたが、荷物に入れるなら、封筒に入る小さな紙のほうがいい。
それで、駅前の文房具店で一筆箋を探しました。
決め手は、書ける行数が少ないことでした。
三行か四行で、終わらせるしかないからです。
広いと、また質問を並べてしまいそうでした。
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最初の一枚には、こう書きました。
「庭の柿が色づきました。お父さんは相変わらずです。返事はいりません。元気でね」
書き終わって読み返すと、不思議と気持ちが軽くなりました。
伝えたいことは、本当はこれくらいだったのかもしれません。
九年間、待っていた部屋
年が明けて、春になりました。
息子からの返事は、相変わらず来たり来なかったりでした。
でも、以前のように一日に何度もトーク画面を開くことは、少なくなっていました。
聞いていないのだから、返事がなくて当たり前です。
そう思えるようになったのは、自分でも意外でした。
四月のある日、私はもうひとつ決めました。
息子の部屋を、片付けることです。
いつ帰ってきてもいいように、九年間ずっとそのままにしていた部屋でした。
高校の参考書。壁に貼ったままのサッカー選手のポスター。
机の引き出しには、中学のときの修学旅行のしおりまで入っていました。
「片付けるのか」
廊下から、夫が声をかけてきました。
「ええ。いつまでも、このままってわけにいかないでしょう」
夫は少し黙ってから、「そうか」とだけ言って、段ボールを三つ持ってきてくれました。
参考書を束ねながら、私は気づきました。
この部屋を「待つための部屋」にしていたのは、私のほうだったんだ、と。
息子のためと言いながら、私は自分の寂しさを、この部屋に閉じ込めていたのかもしれません。
押し入れの奥から、紺色の大きな旅行かばんが出てきました。
家族旅行で最後に使ったのは、拓也が中学生のときです。
持ち上げてみると、空なのにずしりと重い。
「これはもう、私ひとりでは持てないわね」
そう口にしたとき、ずっと心の奥にしまっていたことを思い出しました。
若い頃、私は町の旅行会社で窓口の仕事をしていました。
人の旅の切符を取り、宿を手配し、パンフレットを渡す。
いつか自分も、ひとりで知らない町を歩いてみたい。
そう思いながら結婚して、子どもが生まれて、そのまま四十年近くがたっていました。
一度でいいから、ひとりで旅に出てみたかったのです。
玄関の階段、三段目
行き先は、京都にしました。
新幹線で行けて、ひとりでも歩きやすそうだったからです。
一泊二日。
宿は、駅から歩ける小さなホテルを選びました。
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問題は、あの旅行かばんでした。
試しに、着替えを二日分詰めて、団地の玄関の階段を下りてみました。
一段、二段。
三段目で、手すりにつかまって止まってしまいました。
腕が、かばんの重さに負けていたのです。
京都の駅にも、乗り換えの駅にも、階段はあります。
エレベーターを探して歩き回る自分の姿が、目に浮かびました。
その話を和子さんにすると、「うちの娘のキャリーケース、貸そうか」と言ってくれました。
ありがたい申し出でしたが、私は少し考えて断りました。
これから何度か、ひとりで出かけるかもしれない。
そう思うと、自分で選んだものを持っていきたかったのです。
布の大きなバッグも考えましたが、肩にかけて一日歩く自信はありません。
それで、小さめのキャリーケースを探すことにしました。
お店には、色も形も値段も、いろいろなものが並んでいました。
最初は、値段の安いものから見ていました。
でも、最後に決めた条件はひとつだけでした。
駅の階段で、自分で持ち上げられること。
誰かに持ってもらうことを、前提にしたくなかったのです。
一泊二日なら、大きさは小さいもので足ります。
値段より先に、「重さ」の数字を見て決めました。
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家に帰って、もう一度玄関の階段で試してみました。
一段、二段、三段。
今度は、止まらずに下まで下りられました。
「行ってくるわ、京都」
夜、夫に言うと、夫は新聞を置いて、私の顔を見ました。
「ひとりでか」
「ええ、ひとりで」
少しの間があって、夫は言いました。
「たまにはいいんじゃないか。土産はいらん。写真だけ送れ」
六十二歳、ひとりの京都
五月の平日、朝いちばんの新幹線に乗りました。
隣の席は空いていて、窓の外を流れていく田んぼを、ぼんやり眺めていました。
誰にもお茶を注がなくていい。
誰の顔色も見なくていい。
それだけで、胸の奥がすうっとするのが分かりました。
京都駅に着くと、私はまず階段を探しました。
キャリーケースの持ち手をつかんで、ひと息で上まで上がりました。
あの日、玄関の三段目で止まった自分を思い出して、少しだけ笑ってしまいました。
朝の早い時間に、人の少ないお寺をゆっくり歩きました。
苔の緑が、雨上がりのようにつやつやしていました。
お昼は、ひとりでも入りやすそうな、カウンターのあるお店を選びました。
入る前に、店の前を二回通り過ぎました。
三回目に、思い切って暖簾をくぐりました。
「おひとりさまですか。どうぞ、こちらへ」
案内されたカウンターの端の席で、湯葉のお吸い物をいただきました。
誰とも話さずに食べるお昼が、こんなに落ち着くものだとは知りませんでした。
誰の予定にも合わせず、自分の足が疲れたら休む。
それだけのことが、こんなに楽しいとは思いませんでした。
夜、ホテルの小さな机で、私は一筆箋を一枚取り出しました。
荷物に入れようと、何枚か持ってきていたのです。
「今、京都に来ています。お母さん、ひとり旅デビューです。返事はいりません」
書いてから、少し迷って、もう一行だけ足しました。
「若い頃から、来てみたかった町です」
息子に、私の「行きたかった場所」の話をしたのは、初めてだったと思います。
はてなマークで終わっていたのは
家に帰って三日後の夜、拓也からLINEが届きました。
写真が一枚、ついていました。
私が送った白菜の漬物が、白いごはんの上にのっていました。
その下に、短い文がありました。
「届いた。うまい。京都、どうだった?」
私はしばらく、その文を見つめていました。
最後が、はてなマークで終わっていました。
はてなマークで終わっていたのは、今度は息子のほうでした。
私は少し笑ってから、旅の写真を三枚だけ選んで送りました。
苔のお寺と、カウンターのお吸い物と、京都駅の大きな階段。
「楽しかったよ。またどこか行くつもり」
それから、少しずつ、息子のほうから連絡が来るようになりました。
「今度はどこ行くの?」
「母さん、旅行会社にいたって本当?」
「父さん、元気?」
質問をしてくるのは、いつの間にか息子のほうになっていました。
その年のお盆、拓也は一日だけ帰ってきました。
私は、あの頃のようにごちそうを並べるのはやめて、筑前煮だけを作りました。
食卓で、私は何も聞きませんでした。
代わりに、京都のお寺の話をしました。
息子は箸を動かしながら、「へえ」と何度もうなずいていました。
夫が、ぽつりと言いました。
「こいつ、写真を送ってきたんだ。京都の階段の」
「階段?」
「三段目で止まった話、聞いてないのか」
息子が声を出して笑いました。
その笑い声を聞くのは、何年ぶりだったでしょう。
夕方、駅まで送っていきました。
改札の前で、息子が振り返りました。
以前の私なら、「もう帰るの?」と言っていたと思います。
でもその日は、自然にこう言えました。
「また今度ね。それまで元気でね」
息子は少し驚いたような顔をして、それから言いました。
「次、どこ行くか決まったら教えて」
はてなマークのない、息子の言葉でした。
私は「うん」とだけ答えて、手を振りました。
寂しさが、なくなったわけではありません。
息子の部屋だった場所は、今は私の旅の道具を置く部屋になっています。
あのキャリーケースも、そこにあります。
待つための部屋が、出かけるための部屋に変わった。
そう思えるようになったのは、「いつ帰ってくるの」をやめた、あの冬の夜からでした。
あなたなら、どうしますか?
もし今日、離れて暮らすお子さんに、ひとことだけ連絡を送るとしたら。
はてなマークを使わずに、どんな言葉で終えますか。
そして、お子さんの帰りを待つ予定とは別に、自分のためだけの予定をひとつ入れるとしたら、何にしますか。
今週、ひとつだけ決めるなら
ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。
この物語から、考えたいこと
1. 「いつ帰ってくるの?」は、返事の宿題になりやすい
親からの質問が続くと、返事を負担に感じる人もいます。
質問で終わる連絡は、忙しい時期ほど負担に感じられることがあります。
返事がいらない形で、気持ちだけを伝える方法もあります。
2. 帰ってこない理由は、ひとつではない
仕事の忙しさ、住んでいる場所の遠さ、結婚や家庭の事情など、理由は人によって違います。
- 仕事や休みの都合
- 移動の時間や交通費
- 自分の生活の予定を優先したい時期がある
- 結婚や家庭の事情
- 実家に帰ると質問が続くのが負担に感じられることがある
- 親との距離感が、以前と変わった
「嫌われている」と決めつける前に、連絡の形を少し変えてみるだけで、やり取りが変わることもあります。
一方で、長く連絡がまったく取れず、安否そのものが心配な場合は、話が別です。
その場合は、ほかの家族や身近な人に相談してください。
息子さんに限らず、娘さんでも、子どもが家を出てから帰ってくる回数が減ると、「もう少し顔を見せてくれたら」と思うことがあります。
3. 待つだけの時間を、自分の時間に変える
子どもが帰ってくる日を中心に予定を組んでいると、帰ってこない寂しさがそのまま一年の大部分になってしまいます。
自分のためだけの予定を、ひとつ入れてみる。
それは、子どもとの距離をあきらめることではありません。
振り返りチェック
当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。
印をつけた数:
数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。
この物語に登場したもの
ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(たとえば「自分で持ち上げられる重さ」)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。
一筆箋
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- メーカー:ミドリ(MIDORI)
- 販売ページの記載:50枚入り・横罫5行・サイズ 縦84×横177mm
- 柄:空の柄
小さめで軽いキャリーケース
選ぶときは、本体の重さ・容量・キャスター・キャリーバーの高さを見ると、自分で持ち上げられるものを選びやすくなります。
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- 販売ページの記載:重さ1.9kg・容量 約32L
- 販売ページの記載:外寸 高さ46×幅32.5×奥行23cm(キャスターなどを含む総外寸は 高さ54.5×幅33×奥行23cm)
- 販売ページの記載:4輪キャスター(360度回転)・キャリーバーは3段階で高さ調節・本体はポリカーボネート
- 機内持ち込みの可否は航空会社ごとに決まりが異なります。飛行機で使う場合は、利用する航空会社の案内をご確認ください。
※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。
次の物語
この記事について
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※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。