ひとりの時間
PR

母のレシピノートが残っている。「少々」と「適当」ばかりで作れなかった59歳の私が、一品ずつ自分の分量を書き足していった一年

川沿いの道を一人で歩く女性の後ろ姿
kuroko

「五目豆 お豆はひと晩。お醤油はいつもの。お砂糖少々。あとは味をみて、適当に」

母のレシピノートの、一ページ目の一行目です。

はがきより一回り大きい、表紙の角がすり切れたノートでした。

鉛筆の字はところどころ薄くなっていて、紙の端は油がしみて少し透けていました。

表紙には、母の字で「トミ」とだけ書いてあります。

母が亡くなって、三年になります。

四十九日のあと、兄のお嫁さんの典江さんが、このノートを私に渡してくれました。

「台所の引き出しから出てきたの。これは、お料理をするあなたが持っていたほうがいいと思って」

私はそのとき、ノートを開かずに、かばんにしまいました。

開いたのは、家に帰ってからです。

二十六回の「適当」

ノートには、三十二品の料理が書いてありました。

五目豆、白和え、鯖の味噌煮、かぼちゃの煮物、けんちん汁、おはぎ。

どれも、私が子どものころに食べていたものです。

ところが、どのページを開いても、分量がほとんど書いてありませんでした。

「お砂糖少々」

「お醤油はいつもの」

「塩ひとつまみ」

「水はひたひた、あとは適当」

「味をみて」

いちばん多いのは、「適当」という言葉でした。

数えてみると、三十二品のうち二十六品に出てきました。

私は五十九歳です。

私鉄の終点の駅から歩いて五分の、四軒が壁でつながった二階建ての、いちばん端の家に住んでいます。

夫の道夫は六十二歳で、高校の事務室で働いています。

定年のあとも同じ学校に残って、週に四日通っています。

私も、駅前のクリーニング店の受付に、週に四日出ています。

娘の陽子は三十一歳で、新幹線で三時間の町で一人暮らしをしています。

母の家は、北のほうの川沿いの町にありました。

冬になると、母は台所の石油ストーブの上に鍋をのせて、一日じゅう豆を煮ていました。

ノートは、三年間、食器棚の引き出しに入れたままでした。

ときどき開いては、「適当」の字を見て、また閉じていました。

「その適当が、分からないんだって」

ノートを開けなかった理由は、もう一つありました。

二年前の秋、陽子から電話がかかってきたときのことです。

「お母さん、筑前煮の作り方、教えて。今度の週末、会社の人が家に来るの」

私は夕飯の支度をしながら、スマホを耳に当てていました。

「適当よ。鶏肉と野菜を炒めて、だしを入れて、お醤油とお砂糖を味みながら入れればいいの」

「お醤油って、どのくらい?」

「だから、味をみながら。適当でいいのよ」

電話の向こうで、陽子が小さくため息をつきました。

「その適当が、分からないんだって」

「作ってれば分かるわよ。お母さんだって、そうやって覚えたんだから」

陽子は、「分かった、自分で調べる」と言って電話を切りました。

週が明けて、陽子から短いメッセージが届きました。

「筑前煮、しょっぱくて失敗した。お母さんに聞くと、いつも適当って言うよね」

私は、そのメッセージに何と返したらいいのか、分かりませんでした。

結局、「ごめんね。今度帰ってきたら一緒に作ろう」とだけ送りました。

その「今度」は、なかなか来ませんでした。

あとになって母のノートを開いたとき、私は気づきました。

私が陽子に言った「適当」は、母のノートの字と同じだったのです。

子どものころ、母はよく言っていました。

「見ていれば、覚えるから」

母が台所に立つと、私は隣の茶の間で漫画を読んでいました。

鍋がことことと鳴る音と、だしの匂いだけが、ふすまのすき間から入ってきました。

「ちょっと、こっちに来て見てなさい」

呼ばれて行っても、私は五分もすると茶の間に戻りました。

母は、それ以上は言いませんでした。

「あんたも、そのうち作るようになるから」

そう言って、また鍋のほうを向きました。

結婚して家を出てからは、料理の本とテレビで覚えました。

本には、どれも分量が書いてあります。

大さじ何杯、何グラム、何分。

私の料理は、本の味になりました。

それは、母の味とは少し違うものでした。

一回目の五目豆

去年の夏、私はやっと、ノートの一ページ目の五目豆を作ってみることにしました。

大豆、にんじん、ごぼう、こんにゃく、れんこん、昆布。

材料は、ノートのとおりにそろえました。

分からないのは、「少々」と「いつもの」でした。

お砂糖少々は、小さじ一杯にしてみました。

お醤油のいつもの、は、家にあるお醤油を使いました。

できあがった五目豆は、きれいな色をしていました。

でも、一口食べて、違うと分かりました。

母の五目豆は、もっと甘くて、もっと黒くて、豆のしわの奥まで味がしみていました。

夕飯のとき、夫はそれを食べて「うまいよ」と言いました。

「お母さんのと、違うの」

「そうか? 俺には分からんけどな」

夫は少し考えてから、言いました。

「ああ、でも、お義母さんのは、もう少し甘かったかな」

その夜、私はノートを閉じて、引き出しに戻しました。

やっぱり母の味は、母と一緒になくなってしまったのだと思いました。

叔母の「三本づまみ」

お盆に、母の妹の寿子叔母から電話がありました。

叔母は八十三歳で、母と同じ町に、今も住んでいます。

毎年お盆には、少しだけ電話で話をします。

私は、五目豆のことを話しました。

「ノートにね、お砂糖少々って書いてあるの。小さじ一杯入れたんだけど、全然違ったのよ」

電話の向こうで、叔母が笑いました。

「あら、小さじ一杯じゃ足りないわよ。姉さんの少々は、指を三本でつまむの」

「指三本?」

「親指と人差し指と中指で、ぎゅっとつまむのよ。ひとつまみじゃなくて、三本づまみ。それを三回」

私は思わず台所へ行って、砂糖の入れ物のふたを開けました。

三本の指でつまんでみると、小さじ一杯より、ずっと多い量でした。

「それから、お醤油のいつもの、は、甘いお醤油のことよ。こっちのお醤油は甘いの。あなたの家のは、たぶん辛口でしょう」

叔母は、それから少し声を落としました。

「姉さんもね、うちの母のを、そうやって覚えたのよ」

「おばあちゃんの?」

「そう。おばあちゃんは、何も書かない人だったから。姉さん、お嫁に行ってから、一品ずつ作っては、私に電話してきたの。『寿子、あれ、お砂糖何回だった?』って」

私は、ノートの「少々」の字を思い浮かべました。

母にとっては、少々で分かったのです。

一品ずつ何度も作って、自分の手で覚えた量だったのだから。

「あなたも、一個ずつ作ってみたらいいのよ。作ったら、あなたの分量を、どこかに書いておけばいいじゃない」

母の字と、私の字

ノートに直接書き込むことは、しないことにしました。

母の鉛筆の字の横に、私の字を並べるのは、なんだか違う気がしたのです。

その代わり、一品ずつ、別の紙に書き写すことにしました。

左側に母の書いたとおりの言葉を写して、右側に、私が作ったときの分量を書き足します。

「お砂糖少々」の横には、「三本づまみ三回=大さじ一と半分くらい」。

書き写した紙は、台所で開いて使うことになります。

濡れた手で触るし、鍋のそばに置けば、煮汁もはねます。

それで、紙を入れておくファイルを、駅前の文房具店に探しに行きました。

条件は、家で三つ決めてきました。

一つ目は、あとからポケットを足していけること。

三十二品を、何年かかっても一枚ずつ増やしていくつもりだったからです。

二つ目は、台所の棚に、料理の本と並べて立てられる大きさであること。

母のノートを写した紙が、折らずにそのまま入るものにしました。

三つ目は、台所に置いても目立たない、落ち着いた色であること。

店には、色も厚さもいろいろなものが並んでいました。

私は、差し替え用のポケットが別に売られているものの中から、表紙の色がいちばん地味なものを選びました。

広告

帰りの電車で、私はファイルを膝にのせて、一枚目に何を入れるか考えていました。

もちろん、五目豆です。

月に一品

九月から、月に一品ずつ作ることにしました。

九月は、五目豆をもう一度。

指三本で砂糖を三回つまみ、お醤油は叔母に教わって、甘いお醤油を取り寄せました。

できあがった五目豆を、夫は二回おかわりしました。

「これだ。お義母さんの家で、お正月に出てたやつだ」

夫は結婚してから三十年、毎年お正月に、母の家へ一緒に帰っていた人です。

私よりも、母の五目豆をちゃんと覚えていたのかもしれません。

十月は、白和えでした。

ノートには、「お豆腐はよく水を切る」とだけあります。

一回目は、一時間水を切ったら、水っぽくなりました。

二回目は、夜のうちに重しをのせて、朝まで置きました。

ファイルの右側に、「よく=ひと晩」と書き足しました。

十一月は鯖の味噌煮、十二月はけんちん汁。

一月は、かぼちゃの煮物でした。

ノートには、「かぼちゃは皮を下にして、水はかぶらないくらい。お砂糖は、かぼちゃの顔を見て」とあります。

かぼちゃの顔、という言葉に、私は台所で一人で笑ってしまいました。

叔母に電話で聞くと、叔母も笑いました。

「甘いかぼちゃなら少なめ、水っぽいかぼちゃなら多め、っていうことよ。姉さん、切った口をなめてたでしょう」

言われて、思い出しました。

母は、かぼちゃを切ると、いつも切り口を指でなぞって、その指をなめていたのです。

子どものころ、私はそれを行儀が悪いと思って見ていました。

その日、私も切り口を指でなぞって、なめてみました。

ほんのり甘いかぼちゃでした。

ファイルの右側に、「かぼちゃの顔=切り口をなめる。甘ければ砂糖は大さじ一」と書き足しました。

夫がそれを読んで、「これは、お義母さんの字より分かりにくいな」と言いました。

一品作るたびに、ファイルのポケットが一枚ずつ増えていきました。

左側には母の言葉、右側には私の分量。

私の字の下には、ときどき夫の感想も書いておきました。

「道夫=もう少し甘く」「道夫=お義母さんのと同じ」

冬のあいだに、ポケットは五枚になりました。

おはぎのページ

三月のお彼岸の前に、おはぎのページを開きました。

ノートには、こう書いてありました。

「おはぎ もち米とうるち、半々くらい。あんこの甘さは、お砂糖たっぷり。丸め方は、手が覚えてる」

私は、しばらくそのページを見ていました。

手が覚えている、と書かれても、私の手は覚えていません。

子どものころ、お彼岸には、母が大きなお盆いっぱいにおはぎを並べていました。

あんこが厚くて、中のごはんが少しつぶつぶしていて、どれも同じ大きさでした。

三回作って、三回とも違うものになりました。

甘さは近づいても、あのそろった形にならないのです。

叔母に電話で聞いてみましたが、叔母も「あれは姉さんにしかできなかったのよ」と笑うだけでした。

ファイルのおはぎのポケットは、左側に母の言葉が入っているだけで、右側はまだ空いたままです。

この一品は、私には作れないのかもしれません。

そう思うと、少しさびしくなります。

それでも、ノートを引き出しにしまったままだった三年間より、今のほうが、母の台所に近いところにいる気がします。

五月の連休

五月の連休に、陽子が一年ぶりに帰ってきました。

台所の棚のファイルを見つけたのは、陽子のほうでした。

「これ、なに?」

「おばあちゃんのノートを、書き写してるの」

陽子は、ポケットを一枚ずつめくっていきました。

「少々、三本づまみ三回。よく、ひと晩。……道夫、もう少し甘く」

陽子は声に出して読んで、笑いました。

「お父さんの感想まで入ってる」

それから、筑前煮のページのところで手を止めました。

筑前煮は、四月に作ったばかりでした。

ノートの筑前煮にも、「お醤油は味をみて、適当に」と書いてあります。

その横に、私の字で「お醤油=大さじ三。先に半分、味をみて残り」と書いてありました。

陽子は、そのページをしばらく見ていました。

「二年前にこれがあったら、しょっぱくならなかったのに」

「ごめんね。あのときは、お母さんも分からなかったのよ」

「これ、写真撮っていい?」

「いいわよ。ファイルごと持っていってもいいけど」

「ううん。自分で書き写す」

陽子はスマホで、一枚ずつ写真を撮っていきました。

花の形のにんじん

六月の終わりに、陽子からメッセージが届きました。

「筑前煮、作った。会社の人を呼んで出した。今度はしょっぱくならなかった」

写真が二枚ついていました。

一枚は、深いお皿に盛った筑前煮です。

もう一枚は、陽子が書き写したらしい紙でした。

左側に母の言葉、真ん中に私の分量、そして右側に、陽子の丸い字で一行、書き足してありました。

「陽子=お醤油はちょっとだけ多め。にんじんは花の形」

私はその写真を印刷して、ファイルの筑前煮のポケットに、自分の紙と重ねて入れました。

おはぎのポケットの右側は、まだ空いています。

来年のお彼岸には、陽子に帰ってきてもらって、二人で丸めてみようかと考えています。

あなたなら、どうしますか?

家族が残した手書きのレシピや、口で教わった作り方の中に、どうしても同じ味にならないものはありますか。そのとき、分からないところを聞ける人は、まだ近くにいるでしょうか。

あなたが自分の家族に「適当よ」と言っている料理は、いくつくらいありますか。その「適当」を数字にして書いておくとしたら、最初にどの一品を選びますか。

この物語から、考えたいこと

1. 「少々」は、その人の手の量だった

手書きのレシピの「少々」や「適当」は、いいかげんに書いたわけではありません。

何度も作って、手が覚えていたから、言葉にする必要がなかったのです。

読む側に分からないのは当たり前で、分からないまま閉じてしまうのは、もったいないことかもしれません。

2. 元のページは、そのまま残してもいい

書き写して、横に自分の分量を足していけば、元のノートに手を入れなくてすみます。

母の字と自分の字が並ぶと、どこまでが母の味で、どこからが自分の味なのかも分かります。

一度に全部作ろうとせず、一品ずつ増やしていけば、何年かかってもかまいません。

3. 自分も、誰かに「適当」と言っていないか

残されたレシピに困っている自分が、子どもには同じ言い方をしていることがあります。

自分の分量を書いておくことは、次に作る人への手紙のようなものです。

それでも、どうしても書けない一品が残ることもあります。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(あとからポケットを足していける・台所の棚に料理の本と並べて立てられる大きさ・落ち着いた色)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

ポケットを足していける、クリアポケットのファイル

広告

  • 販売ページの記載:A5サイズの替紙式クリアファイル、ポケット15枚つき
  • 販売ページの記載:ポケットは最大50枚まで増やせる(替紙は別売り)
  • 販売ページの記載:大きさ 約27×198×225mm、表紙の色は灰
  • 選ぶときは、紙の大きさ・ポケットを足せるか・増やせる枚数を見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

次の物語

この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

記事URLをコピーしました