ひとりの時間
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母の着物が、たんすで眠ったまま。着方を知らない61歳の私が、はじめて袖を通した日の帰り道

川沿いの道を一人で歩く女性の後ろ姿
kuroko

寝室の壁ぎわに、桐のたんすが置いてあります。

高さは私の肩くらいで、引き出しが四段あります。

五年前の春、母の家から運送屋さんが運んできました。

畳の上に置かれたとき、木のにおいが部屋いっぱいに広がったのを覚えています。

その日から今日まで、私が開けたのは一番上の引き出しだけです。

上から二段目より下には、着物が入っています。

白いたとう紙に包まれて、何枚も重なっているのを、届いた日に一度だけ見ました。

それきり、閉めたままです。

「あとは好きにしてください」

一番上の引き出しには、母の手紙が一枚だけ入っていました。

便箋ではなく、電話のメモに使うような小さな紙でした。

「着られそうなものだけ、入れておきました。あとは好きにしてください」

その二行だけです。

母の字は、昔からまっすぐで、少し右に上がります。

私は六十一歳です。

夫と二人で、郊外のマンションに住んでいます。

夫は六十三歳で、今も週に四日、電車で仕事に出ています。

娘の美咲は二十九歳。

去年結婚して、電車で二十分ほどの町に住んでいます。

母は八十七歳になりました。

私の家からは電車を乗り継いで三時間ほどの町で、今も一人で暮らしています。

たんすが届いたのは、母が八十二の年でした。

その少し前に、電話でこう言われたのです。

「もう着ないから、そっちに置いてちょうだい。捨てるのは、あんたがしていいから」

私は「うん、分かった」と答えました。

分かった、と答えたのに、あれから五年、何も分かっていません。

着ることもできず、手放すこともできず、ただ場所だけが決まっています。

「ふさ子 袷」

去年の梅雨どきに、一度だけ二段目を開けたことがあります。

雨が三日続いて、部屋の空気が重たく感じた日でした。

引き出しを引くと、白い紙の束が、きれいに重なって並んでいました。

一番上のたとう紙の隅に、小さな窓のような四角い紙が貼ってあります。

そこに、母の字でこう書いてありました。

「ふさ子 袷」

ふさ子は、母の名前です。

袷という字は読めましたが、意味は知りませんでした。

私は、その字を三十秒ほど見ていました。

それから、引き出しを閉めました。

開けたら、何かを決めなければいけない気がしたのです。

着るのか、誰かにあげるのか、手放すのか。

どれも決められないから、閉めるのが一番楽でした。

夫が廊下から声をかけてきました。

「湿気るぞ。たまには風を入れたほうがいいんじゃないか」

「そうね」とだけ答えて、私はその部屋を出ました。

次の日、たんすの前に除湿剤が二つ置いてありました。

夫が買ってきたものでした。

何も言わずに置いていくところが、この人らしいと思いました。

九年前の、成人式の電話

着物のことを考えると、いつも思い出す電話があります。

九年前、美咲が二十歳になる年の秋でした。

母から電話がかかってきました。

「美咲ちゃんの振袖、どうするの」

「もう決めたの。貸衣装で借りるって」

「そう。うちのを直したら着られると思ったんだけど」

母の声が、少し高くなりました。

母は、自分の振袖を娘に着せたかったのだと思います。

でも私は、そのとき台所で手を動かしていて、正直に言えば、面倒だったのです。

「お母さん、今どきの子はみんな借りるのよ。柄も新しいのがいいって言うし」

電話の向こうが、少し静かになりました。

それから母は、いつもの声に戻って言いました。

「そうよね。そのほうが、美咲ちゃんも気が楽だわ」

成人式の日、母は電車で三時間かけて来てくれました。

美咲は、赤い振袖を着ていました。

写真館で撮った写真の中で、母は少し離れたところに立っています。

美咲の肩に手を置くでもなく、両手を前で重ねて、まっすぐ立っていました。

その写真を見るたびに、私は胸のあたりが重くなります。

あのとき「じゃあ、一度見せて」と言うことは、できたはずでした。

見てから断ってもよかったのに、私は見もしないで断ったのです。

「これ、あの写真の着物じゃない?」

今年の四月、美咲が日曜日に来ました。

新しい家の写真を見せに来ただけだったのですが、寝室を通ったときに足を止めました。

「お母さん、このたんす、まだ一回も開けてないの」

「開けてるわよ。上だけ」

「見ていい?」

返事をする前に、美咲は二段目を引いていました。

若い人は、こういうとき遠慮がありません。

美咲は白いたとう紙を畳に下ろして、紐をほどきました。

出てきたのは、茶色と紺の細い格子の着物でした。

派手さはまったくなくて、遠目には無地に見えるくらいの柄です。

美咲は、それを畳の上に広げました。

そして、顔を上げて言いました。

「これ、あの写真の着物じゃない?」

居間の棚に、写真立てが一つ置いてあります。

母が三十五、六のころの写真です。

家の前で、笑って立っています。

私はその写真立てを取ってきて、畳の上の着物の横に置きました。

写真は白黒で、色までは分かりません。

けれど、格子の太さと間隔が、目の前の着物とまったく同じでした。

「おばあちゃん、こんな顔で笑うんだね」

美咲は写真と着物を見比べながら、そう言いました。

私はその写真を、何十年も見てきました。

母の顔は見ていましたが、着ているものを見たことは一度もありませんでした。

「お母さん、これ着ないの」

「着方が分からないもの」

「習えばいいじゃない」

美咲は、当たり前のことのように言いました。

若い子の言うことは、いつも身も蓋もありません。

帰りぎわ、玄関で美咲がもう一度言いました。

「おばあちゃんの振袖のほう、直せるのかな。私のときは間に合わなかったけど」

私は「どうかしらね」とだけ答えました。

九年前の電話が、そのまま戻ってきたようでした。

売るのでも、捨てるのでもなく

美咲が帰ったあと、私は畳に広げたままの着物の前に座っていました。

袖に手を入れてみると、思っていたより重い布でした。

このまま、あと何年ここに置いておくのだろう、と思いました。

私が七十になり、八十になったとき、この八枚はどうなるのでしょう。

たぶん、美咲が同じことで困ります。

それが一番いやでした。

五年前、母が「捨てるのは、あんたがしていいから」と言ったのは、私に決める役をくれたということです。

でも私は、五年かけて何も決めていませんでした。

その夜、私は一つだけ決めました。

売るのでもなく、捨てるのでもなく、一度だけ着てみる。

着てみて、それから考えればいい。

そう決めたら、急に肩の力が抜けました。

問題は、着方がまったく分からないことでした。

本を買って読んでみましたが、写真の手つきを見ても、自分の手がどこにあるのか分かりません。

腰のあたりで紐を結ぶところまでは分かっても、その先がさっぱりでした。

インターネットで、近くで着方を教えてくれるところを探しました。

家から電車で二駅の商店街の二階に、一つ見つかりました。

電話をかけて、最初に聞いたのはこれです。

「自分の着物を持っていってもかまいませんか」

手ぶらでも習えると書いてありましたが、私が着たいのは、あの格子の一枚でした。

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電話に出た女の人は、「もちろんです」と言いました。

「一度だけでもいいんです」と私が言うと、「一度でも、二度でも」と笑われました。

紙袋では、角が折れる

行く日が決まってから、困ったことが一つありました。

着物をどうやって持っていくかです。

最初は、デパートの大きな紙袋に入れてみました。

たたんだ着物を入れると、袋の底から五センチほどはみ出します。

無理に入れると、角が折れました。

もう一度たたみ直して、今度は斜めに入れてみましたが、やはり折れます。

畳の上でたたみ直しながら、母のことを思い出していました。

母は、何でも風呂敷で包む人でした。

お重も、お使いものも、着替えも、全部です。

包んだあと、結び目を二回ひねる癖がありました。

そのひねる手つきを、私は台所の床に座って、何度も見ていたのです。

押し入れを探しましたが、うちにある風呂敷は小さなものばかりでした。

お弁当を包むくらいの大きさしかありません。

それで、新しく一枚だけ買うことにしました。

条件は三つ決めました。

たたんだ着物が包めること。

背負ったり肩にかけたりせず、手で持って電車に乗るので、布がすべらないこと。

そして、自分で洗えること。

絹の立派なものも見ましたが、扱いに気をつかうものを増やしたくありませんでした。

気をつかう物が、たんすの中にもう八枚あるのです。

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届いた風呂敷を畳に広げて、その上に着物を置きました。

四隅を合わせて、結び目を二回ひねりました。

母がやっていたのと同じ手つきになっていることに、結んでから気づきました。

「背中で、手が迷いますよね」

五月の火曜日、私は風呂敷包みを持って電車に乗りました。

商店街の二階は、思っていたより明るい部屋でした。

畳ではなく、板の間に鏡が三つ並んでいます。

その日、私のほかに二人いました。

一人は四十代くらいの人で、一人は私と同じくらいの人でした。

先生は、六十を少し過ぎたくらいの女の方でした。

私が風呂敷をほどくと、先生は着物を見て、こう言いました。

「よく取ってありましたね。しまい方がていねいです」

褒められたのは母なのに、なぜか私がうれしくなりました。

最初の三十分は、たたみ方と、名前の話でした。

袷というのは、裏地のついた着物のことだと、そこで初めて知りました。

十月から五月ごろまで着るものだそうです。

「ふさ子 袷」という字は、母が季節ごとに分けて入れていた印だったのです。

五年間、私は意味の分からない字をただ見ていただけでした。

着るほうは、思ったとおりうまくいきませんでした。

衿を合わせて、腰で紐を結ぶまではなんとかなります。

その先、帯を背中に回すところで、私の手は完全に止まりました。

鏡を見ながら手を動かすと、左右が逆になって、どちらに引けばいいのか分からなくなります。

先生が後ろから言いました。

「背中で、手が迷いますよね。みなさん最初はそこです。鏡を見ないで、手の場所だけ覚えてください」

目をつぶって、と言われました。

目をつぶって、帯の端を持った手を、腰の線に沿ってゆっくり動かしました。

三回目で、自分の手がどこにあるか分かりました。

一時間半で、どうにか形になりました。

鏡の中の私は、衿が少し詰まっていて、帯の位置も高すぎました。

それでも、着物を着た自分が鏡の中にいるのは、生まれて初めてのことでした。

帰り道、電車の窓に自分の顔が映りました。

母の顔だと思いました。

三段目が、開いた

家に帰って、私は着物をたたみ直しました。

たたみ方は、その日に習ったばかりです。

たとう紙に戻して、二段目にしまおうとしたとき、ふと三段目を引いてみました。

三段目だけは、五年前から固くて開かない引き出しでした。

湿気で木が膨らんでいたのだと思います。

その日は、軽く引いただけで、すっと開きました。

除湿剤を置いたからかもしれません。

中には、帯締めや帯揚げが、輪にして並べてありました。

その端に、小さな封筒がありました。

中身は、母の字で書いたメモが一枚です。

「袷 十月から 単衣 六月と九月 夏物 七月八月 わからなくなったら電話しなさい」

私は、そのメモを持ったまま、しばらく畳に座っていました。

母は、いつか私が開けると思っていたのです。

開けたときに困らないように、順番まで書いて入れていた。

五年前に渡された手紙の「あとは好きにしてください」は、突き放した言葉ではなかったのかもしれません。

好きにしていいから、まず開けてごらん、ということだったのでしょうか。

その夜、夫にメモを見せました。

夫はしばらく読んでから、こう言いました。

「電話しなさい、って書いてあるんだから、電話したらどうだ」

私は「そうね」と言いましたが、その日はかけませんでした。

何と言えばいいのか、分からなかったのです。

すれ違った人の、四文字

六月の最初の日曜日、私はもう一度、あの格子の着物を着ました。

教室に行ったときのように一時間半はかかりませんでしたが、それでも一時間かかりました。

衿は、また少し詰まっていました。

夫が玄関で靴を履きながら、ちらっとこちらを見ました。

「どこか行くのか」

「そこまで。歩いてくるだけ」

「そうか」

夫は、それ以上何も聞きませんでした。

マンションを出て、川沿いの道を歩きました。

歩幅が小さくなるので、いつもより時間がかかります。

すれ違う人は、思ったほどこちらを見ませんでした。

橋の手前で、犬を連れた年配の女の人とすれ違いました。

その人は二、三歩行き過ぎてから振り返って、こう言いました。

「素敵ですね」

四文字だけでした。

私は「ありがとうございます」と頭を下げました。

その人はもう歩き出していて、犬のほうが私を見ていました。

たったそれだけのことなのに、私は橋の上でしばらく立っていました。

家に帰って、着物を脱いで、たたんで、たとう紙に戻しました。

それから、母に写真を送りました。

美咲に教わったやり方で、川沿いで撮った写真を一枚だけです。

返事は、次の日の朝に来ました。

「そう」

それだけでした。

母らしいと思いました。

でも、そのあと十分ほどして、もう一通きました。

「衿、もう少し抜いたほうがきれいよ」

私は声を出して笑ってしまいました。

八十七歳の母が、写真を見て衿の抜き方を直してきたのです。

今、たんすの二段目には、あの一枚だけが少し手前に出してあります。

月に一度、引き出しを開けて風を通す日を、手帳に書きました。

「一度だけ着る」と決めたはずなのに、来月の手帳にも同じ印をつけてしまいました。

残りの八枚を、私はどうするつもりなのでしょう。

着るつもりがあるのか、まだ決められないだけなのか。

自分でも、答えが出ていません。

あなたなら、どうしますか?

もし、しまったまま何年も開けていない物があるとしたら、それは何でしょうか。手放すか置いておくかを決める前に、一度だけ使ってみるとしたら、どれを選びますか。

誰かから「好きにしていい」と言われて、そのまま決められずにいる物はありますか。その人は、あなたに何を決めてほしかったのだと思いますか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. 「決められない」のは、決める選択肢が二つしかないからかもしれない

しまってある物を前にすると、私たちはたいてい「置いておく」か「手放す」かの二つで考えます。

どちらも大きな決断なので、決めないまま閉じるのが一番楽になります。

けれど、その間に「一度だけ使ってみる」という小さな選択肢を置くと、決断が先へ延びるのではなく、考える材料が増えます。

2. 使い方が分からない物は、物のせいではない

着方を知らなければ、着物はただの重い布です。

同じように、道具や機械も、使い方を教わる場所がなければ、しまっておくしかありません。

一回だけ教わる場所があるかどうかを調べるのは、物を手放すかどうかを決めるより、ずっと小さな手間です。

3. 書いてあるものは、いつか読む人がいると思って書かれている

たとう紙の名前や、引き出しに入っていたメモは、書いた人が「いつか誰かが開ける」と思って書いたものです。

読まれないまま何年も経つことはありますが、書かれたこと自体がなくなるわけではありません。

開けるのが遅れたことを悔やむよりも、開けたときに書いた人へ一言返せるかどうかのほうが、たぶん大事です。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(たたんだ着物が包める大きさ・布がすべりにくい・自分で洗える)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

たたんだ着物を包んで持ち運ぶ、大きめの風呂敷

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  • 販売ページの記載:約90cm(二四巾)・ポリエステル100%・日本製
  • 販売ページの記載:家庭で洗濯できる・しわになりにくい
  • 選ぶときは、大きさ(包みたい物に合うか)・素材・洗えるかを見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

次の物語

この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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