人とのつながり
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昔の友人に、久しぶりに連絡したい60歳。「年賀状じまい」の一枚を受け取った私が、絵はがきに四行だけ書いた冬

陶芸教室で、隣の人と話しながら作業する女性たち
kuroko

一月七日の夜、輪ゴムでとめた年賀状の束を、こたつの上でほどきました。

今年届いたのは、五十二枚です。

毎年この日に、一枚ずつ見ながら、住所録に印をつけていきます。

四十枚目あたりで、手が止まりました。

淡い桜色の、印刷だけのはがきでした。

「誠に勝手ながら、本年をもちまして、年始のご挨拶を失礼させていただきます」

「これまでのご厚誼に、心より御礼申し上げます」

差出人の欄に、文恵の名前がありました。

高校の三年間、毎日一緒に帰っていた人です。

手書きの字は、一文字もありませんでした。

私は六十歳です。

三十年近く、年に一度だけつながっていた糸が、その一枚で終わろうとしていました。

輪ゴムの内側の、三十年

文恵とは、高校一年の春に、出席番号が前後だったことで話すようになりました。

帰る方向が同じで、駅までの坂道を、三年間ほとんど毎日一緒に歩きました。

卒業してからも、二十代のうちは月に一度は会っていました。

私の結婚式では、文恵が友人代表の挨拶をしてくれました。

文恵の結婚式では、私が受付をしました。

それが、三十一歳の年に、ぷつりと途切れました。

文恵がご主人の転勤で、遠くの町に引っ越したのです。

そのあとの付き合いは、年賀状だけになりました。

文恵の年賀状は、毎年、子どもさんの写真の入った印刷のはがきでした。

私のほうも、家族の写真に「お元気ですか」と刷ったものを返していました。

書き足そうと思う年もありました。

でも、何を書けばいいのか分からないまま、毎年、印刷のまま出していました。

その年賀状が、これで終わります。

私は桜色の一枚を、束に戻さずに、こたつの端に置きました。

隣でみかんをむいていた夫が、のぞきこみました。

「年賀状じまいか。最近、多いな」

「高校のときの、文恵よ。覚えてる? 結婚式で挨拶してくれた人」

「ああ、あの背の高い人か」

夫は、はがきを手に取って、しばらく眺めていました。

「向こうも、どこかで区切りをつけたかったんじゃないか」

悪気のない言い方でした。

私も、そうなのだろうと思いました。

三十年、印刷の年賀状を送り合ってきた相手です。

区切りをつけられても、文句を言える立場ではありません。

「今、ちょっと話せる?」

その夜、布団に入ってから、ひとつの電話を思い出していました。

文恵が引っ越す前の、最後の電話です。

娘が一歳になる少し前の、十月の夜でした。

娘は熱を出していて、夕方からずっとぐずっていました。

夫はまだ帰っておらず、私は片手で娘を抱いたまま、台所で洗い物をしていました。

九時を過ぎたころ、電話が鳴りました。

「のりちゃん? 文恵。今、ちょっと話せる?」

受話器の向こうで、文恵の声は少しかすれていました。

そのとき、腕の中で娘がまた泣きだしました。

「ごめん、今この子がぐずってて。手が離せないの」

「あ、そうだよね。ごめんね、急に」

「また今度、こっちからかけるね」

「うん。じゃあ、またね」

電話は、それで終わりました。

私は、かけ直しませんでした。

次の日も、その次の週も、娘の熱と夜泣きで、一日が終わっていきました。

十二月になって、文恵から転居のはがきが届きました。

新しい住所は、新幹線で三時間かかる町でした。

はがきを見て、あの夜の電話は引っ越しの話だったのだと気づきました。

「今度かけるね」と言った私の「今度」は、そのまま三十年、来ませんでした。

年賀状を印刷のまま出し続けたのは、忙しかったからだけではないと思います。

手で何か書こうとすると、あの夜のことを書かなければいけない気がしていたのです。

住所録の、電話番号の欄

次の日の朝、私は住所録を開きました。

文恵の欄には、住所が三回書き直してありました。

電話番号の欄は、空いたままでした。

引っ越してから、私は文恵の電話番号を聞いていなかったのです。

携帯電話を持つようになってからも、聞く機会はありませんでした。

連絡をとる方法は、年賀状の住所だけでした。

はがきを書けば、届くには届きます。

でも、書こうとすると、手が止まりました。

年賀状をやめますと言ってきた人に、こちらから便りを出す。

それは、相手の区切りを踏み越えることにならないだろうか。

三十年ぶりに急に連絡してくる同級生の話は、よく耳にします。

保険の勧誘だったとか、健康食品の話だったとか。

私からのはがきを見て、文恵がそう思ったらどうしよう。

「何の用だろう」と、身構えさせてしまうかもしれない。

そう考えると、ペンを持つ前に、住所録を閉じてしまいました。

一月が終わって、二月になりました。

桜色のはがきは、こたつの端から、電話台の引き出しに移りました。

押し入れの、黄色いアルバム

二月の終わりに、押し入れの天袋を片付けることにしました。

脚立に上ると、奥から、布張りの黄色いアルバムが出てきました。

高校のころのアルバムです。

実家を出るときに持ってきて、そのまま四十年近く開いていませんでした。

居間の床に座って、一枚ずつめくりました。

体育祭のはちまき。

文化祭の模擬店の、焼きそばの鉄板。

そして、修学旅行の写真がありました。

長崎の、石でできた古い橋の上です。

二人とも、紺の制服にリュックを背負って、欄干にもたれて笑っていました。

文恵は、私より頭ひとつ背が高くて、腰をかがめて私の肩に手を置いていました。

写真の裏に、鉛筆で書いた小さな字がありました。

「六十になったら、また二人で来ること」

文恵の字でした。

橋の上で、写真を撮ってくれた先生を待っているあいだに、文恵が言ったのです。

「ねえ、六十になったら、また二人で来ようよ」

「六十って、おばあちゃんじゃない」

「おばあちゃんになっても、来るの」

私は笑って、「いいよ」と答えました。

その約束を、四十三年、忘れていました。

六十歳になったのは、去年の秋です。

私は写真を床に置いたまま、しばらく動けませんでした。

「勧誘の人は、そんなこと書かないよ」

その週の日曜日、名古屋に住む娘から電話がありました。

娘は三十歳を過ぎて、二歳の男の子の母親になっています。

孫の話をひととおり聞いたあと、私は写真のことを話しました。

「年賀状、やめますって来たのよ。高校のときの、いちばんの友達から」

「へえ。それで、連絡するの?」

「どうしようかと思って。今さらでしょう。何かの勧誘だと思われても困るし」

娘は、電話の向こうで少し笑いました。

「お母さん、勧誘の人は『この写真覚えてる?』なんて書かないよ」

「そうかしら」

「そうだよ。売りたい物がある人は、昔話なんかしないで、すぐ本題に入るもん」

言われてみれば、そうかもしれません。

「それにさ」

娘は、少し声を落としました。

「年賀状をやめるって、全部やめるってことじゃないと思うよ。私の友達も何人かやめたけど、LINEでは普通にやりとりしてるし」

「文恵の番号、知らないのよ」

「じゃあ、はがきでいいじゃん。住所は分かるんでしょ」

電話の向こうで、孫が「ママ」と呼ぶ声がしました。

「ごめん、呼ばれてる。また今度かけるね」

娘はそう言って、電話を切りました。

また今度かけるね。

三十年前、私が文恵に言ったのと、同じ言葉でした。

娘はたぶん、夜にちゃんとかけ直してくるのだろうと思いました。

私は、かけ直さなかったのです。

はがきの棚の前で

三月の初め、駅前の文房具店に行きました。

手紙にするか、はがきにするかは、行く前に決めていました。

封筒の手紙は、開けるまで中身が分かりません。

年賀状をやめたばかりの人に、封をした手紙が届いたら、重く感じるかもしれない。

はがきなら、郵便受けから取り出した瞬間に、全部読めます。

読んで、しまっておくことも、そのまま捨てることもできます。

それくらいの軽さで届けたかったのです。

はがきの棚の前で、私は三つの条件を決めました。

一つ目は、印刷のお知らせに見えないことです。

写真のはがきや、字の大きく入ったはがきは、どこかの案内のように見えてしまいます。

手で描いたような、やわらかい絵のものを選ぶことにしました。

二つ目は、季節ごとに違う絵が、何枚か入っていることです。

一枚で終わらせたくない、という気持ちが、正直ありました。

返事が来たら、次の季節にもう一枚出せるように。

三つ目は、切手を貼れば、そのまま郵便で出せることでした。

飾るためのカードではなく、ちゃんと届くはがきであることです。

棚の端に、春夏秋冬の花や果物の絵が十二枚入った、薄い箱のセットがありました。

一枚目は、梅の枝の絵でした。

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その夜、台所のテーブルで、梅の絵のはがきを一枚出しました。

書きたいことは、たくさんありました。

あの夜の電話のこと。

三十年、印刷の年賀状しか出さなかったこと。

娘のこと、孫のこと、夫のこと。

でも、はがきの裏は、思っていたより狭いのです。

全部は書けないし、書いたら、読む人が疲れてしまいます。

下書きを、チラシの裏に三回書きました。

一回目は、謝ることから始めていました。

二回目は、近況が長くなりました。

三回目で、やっと四行になりました。

「文恵へ。年賀状、三十年ありがとう。押し入れで、長崎の石の橋の写真が出てきました。裏の約束、覚えてる?」

その下に、携帯電話の番号を書き足しました。

「よかったら、ここに。のりこ」

用件は書きませんでした。

会いたいとも、書きませんでした。

「覚えてる?」とだけ聞いて、あとは文恵に任せようと思ったのです。

切手を貼って、次の朝、郵便局の前のポストに入れました。

入れたあとで、ポストの前で一回だけ深呼吸をしました。

知らない番号の、短い一行

五日たっても、何も来ませんでした。

一週間たって、やっぱり、区切りを踏み越えたのかもしれないと思い始めました。

十日目の夕方、台所で大根を切っていると、携帯電話が短く鳴りました。

知らない番号からの、ショートメッセージでした。

「覚えてる。会おう。文恵」

それだけでした。

私は包丁を置いて、手を拭いて、もう一度読みました。

九文字と、名前だけの返事でした。

居間の夫に見せると、夫は老眼鏡を額に上げて、画面を近づけました。

「よかったな」

それから、少しばつが悪そうに言いました。

「区切りだろう、なんて言って、悪かったな」

「ううん。私も、そう思ってたから」

その晩、夕飯の片付けを終えてから、私は文恵の番号に電話をかけました。

呼び出し音が三回鳴ったところで、つながりました。

「文恵? のりこです」

少し間があって、それから、あの少しかすれた声が聞こえました。

「のりちゃん。はがき、ありがとう」

何から話せばいいのか、分かりませんでした。

私は、三十年前に言えなかったことを、先に言うことにしました。

「あのね。引っ越しの前に、電話くれたでしょう。夜に」

「うん」

「私、かけ直さなかった。ずっと、それが引っかかってて」

文恵は、電話の向こうで小さく笑いました。

「あの晩ね、荷造りが終わって、なんだか急に心細くなって。最後に声が聞きたかっただけなの」

「そうだったの」

「赤ちゃん、泣いてたでしょう。悪いことしたなって、私のほうこそ思ってたのよ。あのあと、かけ直せなかったのは私も同じ」

それから、文恵は年賀状のことも話してくれました。

「年賀状、去年から娘が印刷してくれてるの。やめるお知らせも、娘に頼んだら、全部同じ文面で出ちゃって」

「そうだったの」

「何人かには手で書き足すつもりだったのに、気がついたら、ポストに入ってた」

文恵は、少し間を置いて言いました。

「のりちゃんの分には、書き足したかったのよ」

真ん中の駅

会うのは、五月の連休明けの平日にしました。

私の町と文恵の町の、ちょうど真ん中あたりにある駅です。

お互いに、乗り換え一回で来られます。

改札を出たところで待っていると、階段を下りてくる人の中に、頭ひとつ背の高い人がいました。

髪は短くなって、白いものが混ざっていました。

でも、手を上げる前に、分かりました。

「のりちゃん」

「文恵」

名前を呼び合ったあと、二人とも、次の言葉が出てきませんでした。

駅ビルの上の階の、窓の大きな食堂に入りました。

最初の三十分は、子どもの話と、住んでいる町の話でした。

それが終わると、話すことがなくなって、二人で窓の外を見ている時間がありました。

三十年という長さは、一時間では埋まりませんでした。

知らないことのほうが、ずっと多いのです。

文恵のご主人が五年前に病気をしたことも、その日に初めて聞きました。

私は、何も知らずに、印刷の年賀状を送っていたのです。

「知らなかった。ごめんね」

「言ってないもの。年賀状には書かないでしょう、そういうこと」

文恵は、あっさり言いました。

食事のあと、文恵がバッグから白い封筒を出しました。

中から出てきたのは、長崎の石の橋の写真でした。

私の持っているのと、同じ一枚です。

「私も、ずっと持ってたの。裏には何も書いてないけど」

「約束、書いたのは文恵よ」

「覚えてる。六十になったら、って」

文恵は写真を指でなぞって、言いました。

「長崎は、まだちょっと遠いね。膝がね」

「私も、長く歩くと、左の膝が重くなるのよ」

二人で笑いました。

長崎に行くかどうかは、決めませんでした。

代わりに、半年に一度、この駅で会うことにしました。

梅から、柿へ

別れ際、改札の前で、文恵が言いました。

「はがき、また送ってね。私、字を書くのは苦手だから、返事は電話にするけど」

「うん。季節ごとに、一枚ずつ」

家に帰ると、夫が玄関の電気をつけて待っていました。

「どうだった」

「話すことがなくなって、二人で窓の外を見てたわ」

夫は「そうか」と言って、それ以上は聞きませんでした。

それからの季節は、絵はがきの絵で覚えています。

六月の終わりには、紫陽花の絵を出しました。

庭の紫陽花が色づいたこと、それだけを書きました。

その週の金曜の夜、文恵から電話がありました。

八月のお盆の前には、朝顔の絵を出しました。

十月には、二回目の真ん中の駅で、今度は駅の近くの公園を少し歩きました。

文恵の歩く速さは、高校の坂道のときより、少しゆっくりになっていました。

私も、同じくらいゆっくりになっていました。

十一月の終わりに、柿の絵の一枚を出しました。

十二枚あったはがきは、残り五枚になりました。

年が明けても、文恵からの年賀状は来ません。

こたつの上で輪ゴムをほどく束の中に、文恵の名前はもうないはずです。

それが、少しも寂しくないと言えば、嘘になります。

三十年、一月七日の夜に、印刷の一枚を探すのが、私の決まりごとでした。

電話台の引き出しには、今も桜色のはがきが入ったままです。

捨てる気には、まだなれません。

窓の外の柿の木には、実がひとつだけ残っています。

次の一枚は、椿の絵にするつもりです。

あなたなら、どうしますか?

年賀状だけで長くつながっている人の中に、もう一度、声を聞きたい人はいますか。その人に最初に送る一行を、あなたならどんな言葉にしますか。

連絡をためらっている理由を、一つだけ挙げるとしたら何でしょう。それは相手の都合ですか、それとも、自分の中にある気おくれのほうですか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. 「今さら」と思う気持ちの奥に、言えなかった一言があることがある

長く連絡をしていない理由は、忙しさだけではないことがあります。

最後に交わした会話に、小さな引っかかりが残っていると、次の一言がどんどん重くなります。

連絡をためらうとき、自分が本当に気にしているのは何なのかを、一度確かめてみると、書く中身が見えてきます。

2. 用件ではなく、共通の思い出を一つだけ

久しぶりの連絡が身構えられるのは、何か頼まれるのではと感じさせるときです。

「これ、覚えてる?」のように、二人だけが知っている場面を一つ渡すと、用件のない便りだと伝わります。

長く書くより、相手が返事の形を選べるくらいの短さのほうが、受け取りやすいこともあります。

3. 三十年は、一度会っただけでは埋まらない

再会しても、知らなかったことのほうが多く、話が途切れる時間もあります。

それは、失敗ではありません。

埋めようとせず、次に会う日を決めておくことで、少しずつ今の相手を知っていくことができます。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(印刷のお知らせに見えない手描きの風合いの絵・季節ごとに違う絵柄が何枚か入っている・切手を貼ればそのまま郵便で出せる)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

季節の絵が入った、絵はがきのセット

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  • 販売ページの記載:雲母をすき込んだ和紙のはがき・10×14.8cm・10枚入り
  • 販売ページの記載:絵柄は桜・紅しだれ・あやめ・あじさい・ひまわり・朝顔・コスモス・紅葉がさね・南天・紅梅の各1枚
  • 選ぶときは、絵柄の季節・紙の質感・ペンで書きやすいかを見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

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この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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