夫婦ふたりの時間
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料理を作る気がしない65歳。四十三年続けた「毎日」を、私が週に四日にした話

買ってきたお惣菜を器に移して並べた食卓
kuroko

憂うつになるのは、夕方の四時ごろです。

西日が台所の窓から差し込んで、流しのステンレスが白く光りはじめる時間です。

私は冷蔵庫の扉を開けて、しばらく立っています。

何もないわけではありません。

豚の細切れが一パック、キャベツが半分、卵が六つ、使いかけの油揚げ。

材料は、ちゃんとあるのです。

それなのに、何を作ればいいのか、頭が動きません。

冷蔵庫が「ピー」と鳴って、開けっぱなしを知らせます。

扉を閉めて、また開けます。

六十五歳です。

夫と二人で暮らしています。

結婚してから四十三年、ほぼ毎日、三食を作ってきました。

昨日は魚だったから

料理そのものは、嫌いではありません。

むしろ、好きなほうだと思います。

お正月に子どもたちが孫を連れて帰ってくる日は、前の晩から黒豆を煮て、朝から台所に立っても苦になりません。

人が来る日に、時間をかけて作るのは楽しいのです。

つらいのは、毎日のほうでした。

正確に言うと、献立を考えることでした。

昨日は魚だったから、今日は肉。

一昨日も、同じ煮物を出した気がする。

夫は脂っこいものが続くと胃がもたれると言うし、私は私で、揚げ物をした後の油の始末が億劫になってきた。

それを、朝ごはんが終わった瞬間から考え始めます。

スーパーの売り場を三周しても、決まらない日があります。

かごに入れた鶏肉を、また棚に戻すこともあります。

作る時間は、せいぜい四十分です。

でも、考えている時間は、一日のうちに何度も、細切れにやってきます。

洗濯物を干しながら、テレビを見ながら、夜、布団に入ってからも、明日の夕飯のことを考えている。

四十三年、毎日です。

計算すると、一万五千回を超える夕飯を、私は考えてきたことになります。

「今日はお店のコロッケ?」

一度だけ、夕飯を作らなかった日のことを、よく覚えています。

息子が小学二年生、娘が幼稚園の年長だった冬でした。

私は朝から熱っぽくて、夕方には台所に立つのもつらくなっていました。

それで、駅前の肉屋でコロッケを五つ買って、パックのまま食卓に出したのです。

あとは、ごはんと、インスタントの味噌汁でした。

息子が、食卓を見て言いました。

「今日はお店のコロッケ?」

責めるような言い方ではありませんでした。

ただ、見たままを言っただけです。

でも、私はとっさに謝っていました。

「ごめんね。今日だけね。明日はちゃんと作るから」

夫は「いいじゃないか、うまいぞ」と言って、コロッケにソースをかけていました。

息子も、二つ目に手を伸ばしていました。

誰も怒っていなかったのです。

それなのに、その晩、私は布団の中で、ひどく自分がだめな母親に思えました。

お店のコロッケをパックのまま出した日。

それが、私の中の「手を抜いた日」の形になりました。

それから三十年あまり、熱があっても、腰が痛くても、夕飯は作ってきました。

誰に頼まれたわけでもなく、です。

「うまい」と言う人だから

夫は、文句を言う人ではありません。

出したものは、ちゃんと食べます。

「うまい」と言われることもあります。

塩気が強すぎた日も、「今日のは、ごはんが進むな」と言うような人です。

だから、なおさら言い出せませんでした。

もし夫が、「またこれか」と言う人だったら、私も言い返せたのかもしれません。

「じゃあ、あなたが作ってよ」と。

でも、夫は何も言いません。

誰にも責められていないのに、自分で自分に義務を課している。

そのことに、うすうす気づいてはいました。

気づいてからも、しばらく変えられませんでした。

作らない日を作ったら、何かが崩れる気がしたのです。

四十三年続けてきたものを、自分の手で止めてしまったら、そのあと私には何が残るのだろう。

そんな、大げさなことを考えていました。

三月の終わり、娘から電話がありました。

「お母さん、最近元気ないね。声が低い」

「そう? 夕飯のこと考えてると、なんだか疲れちゃって」

「たまにはお父さんに作ってもらったら?」

「お父さんに? 無理よ、目玉焼きしか焼けないもの」

娘は笑っていましたが、私は笑えませんでした。

作ってもらうのではなく、作らなくていい日がほしい。

それを、どう言葉にすればいいのか、分からなかったのです。

「決めただけ」

四月に、昔の職場の友人の久美子さんと、お茶を飲みました。

駅の近くの喫茶店で、窓ぎわの席に座りました。

久美子さんは私より一つ年上で、ご主人と二人暮らしです。

夕飯の話になったとき、久美子さんが、こともなげに言いました。

「私ね、夕飯は週に四日だけ作るって決めたの。夫も、もう慣れたわよ」

週に四日。

三日は、作らない。

「そんなこと、できるの?」

私は、思わず身を乗り出していました。

久美子さんは、紅茶のカップを置いて言いました。

「できるも何も、決めただけよ」

「決めただけ?」

「そう。月曜と木曜と土曜は作らない日。その日は、買ってきたものか、ありもの。夫にも一回だけ言ったの。それでおしまい」

「ご主人、何も言わなかった?」

「最初の週だけ、『今日は作らない日か』って確かめてたわね。今はもう、カレンダー見て、勝手に分かってる」

決めただけ。

帰りの電車の中で、その言葉を何度も思い出しました。

四十三年、私は決めていなかったのです。

作ると決めたわけでもなく、作らないと決めたわけでもない。

ただ、毎日が続いていただけでした。

台所のカレンダーの丸

その週から、台所のカレンダーに印をつけることにしました。

冷蔵庫の横の壁に、それまでは町内会でもらったカレンダーを掛けていました。

でも、日付の欄が小さくて、丸をつけると数字が隠れてしまいます。

それで、書き込む欄が大きくて、台所の壁に掛けられるものを、ひとつ選び直しました。

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作る日に、赤いペンで丸。

作らない日は、何も書かない。

それだけの決まりです。

最初は、週に六日を丸にしました。

いきなり四日は、こわかったのです。

作らない日は、水曜日だけにしました。

水曜は、夫が仕事を手伝いに行っている知り合いの工務店が、半日で終わる日です。

その晩、夕飯の片付けをしながら、夫に言いました。

「来週から、水曜は作らない日にするから」

夫は湯のみを持ったまま、振り返りました。

「そう」

それだけでした。

私は、拍子抜けして、しばらく夫の背中を見ていました。

「……いいの?」

「いいも何も。作らない日なんだろ」

四十三年、そんなことを聞かれたことすら、なかったのだと思います。

私が聞かなかったから、夫も答えなかっただけなのかもしれません。

パックのままの水曜日

最初の水曜日、私は夕方の四時に、冷蔵庫を開けませんでした。

代わりに、スーパーのお惣菜売り場に行きました。

コロッケと、ひじきの煮物と、ほうれん草のおひたしを買いました。

コロッケを選んだのは、たまたまです。

いえ、たまたまではなかったのかもしれません。

家に帰って、パックのまま食卓に並べてみました。

透明のふたを外して、割り箸を添えて。

そこで、手が止まりました。

どうにも、落ち着かないのです。

三十年あまり前の、あの冬の晩の食卓と、同じ形をしていました。

手を抜いた日、という顔をしているように見えました。

夫は何も言わずに食べました。

「うまいな、このコロッケ」

そう言ってくれました。

でも、私は、自分の分のコロッケを半分残しました。

片付けながら、考えました。

作らない日に落ち着かないのは、作らないからではなく、パックのままだからではないか。

中身は同じでも、見た目が「手を抜いた日」の形をしているから、私は謝りたくなるのではないか。

それで、次の水曜からは、買ってきたものを器に移すことにしました。

食器棚を開けてみると、うちにあるのは、大皿と、ごはん茶碗と、汁椀ばかりでした。

お惣菜を一人ぶんずつ盛れる、ちょうどいい大きさの鉢が、ほとんどなかったのです。

それで、鉢をいくつか買い足しました。

条件は、三つでした。

一人ぶんずつ盛れる大きさであること。

洗うのが楽であること。

見て気分が下がらない柄であること。

三つ目が、思っていたより大事でした。

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家に帰って、食器棚の空いた段に並べてみました。

五つ重ねて、ちょうど収まりました。

次の水曜日、コロッケは平たい皿に、ひじきとおひたしは鉢に、それぞれ移しました。

パックはすぐに洗って、ごみの袋にしまいました。

食卓を見て、少し驚きました。

作った日と、ほとんど変わらなかったのです。

その次の水曜日は、惣菜を買いに出る前の夕方四時に、冷蔵庫を開ける代わりに、台所の椅子に座ってお茶を淹れました。

西日が、流しのステンレスを白く光らせていました。

四十三年、この時間の台所で、座ってお茶を飲んだことがあったでしょうか。

いつもは、この光を背中に受けながら、まな板の前に立っていたのです。

湯のみが空になるまで、私はただ、窓の外の電線にとまった鳩を見ていました。

六月のある晩、娘からまた電話がありました。

「お母さん、作らない日を作ったんだって?」

「あら、誰に聞いたの」

「お父さん。この前電話したら、『水曜は母さんの休みの日だから、俺は余計なこと言わないようにしてる』って」

私は受話器を持ったまま、居間でテレビを見ている夫の後ろ頭を見ました。

余計なことを言わないように。

夫は夫で、気をつけてくれていたのです。

「お父さん、なんか得意そうだったよ」

娘はそう言って笑いました。

電話を切ってから、夫に「余計なことって、なに?」と聞いてみました。

夫はテレビから目を離さずに、「帰ってきて、台所の鍋の蓋を開けるとか、そういうのだ」と言いました。

たしかに夫は、四十三年、帰るとまず台所に来て、鍋の蓋を持ち上げていました。

あれは催促ではなく、ただの癖だったのだと、今なら分かります。

それでも、水曜にはその癖をがまんしてくれている。

そのことが、少しおかしくて、少しありがたかったのです。

お盆のコロッケ

五月には、作らない日を、水曜と日曜の二日にしました。

七月には、金曜も加えて、三日になりました。

カレンダーの赤い丸は、週に四つです。

八月のお盆に、息子が一人で帰ってきました。

四十一歳になって、今は自分の家族の夕飯を、共働きの奥さんと交代で作っているそうです。

帰ってきた日が、ちょうど金曜日でした。

作らない日です。

少し迷いましたが、決まりは決まりです。

私は駅前の肉屋でコロッケを買って、いつものように鉢と皿に移しました。

食卓についた息子が、コロッケを一口食べて言いました。

「これ、駅前の肉屋のでしょ」

私は、どきりとしました。

「……分かる?」

「分かるよ。俺、これ好きだったんだよ。子どものころ、母さんが一回だけ買ってきたことあったじゃん。熱出したとき」

息子は、あの晩のことを覚えていたのです。

「あれ、うれしかったんだよな。お店のコロッケだって、なんか特別な感じがして」

私は、箸を持ったまま、しばらく何も言えませんでした。

三十年あまり、私が「手を抜いた日」だと思っていた晩を、息子は「特別な晩」として覚えていたのです。

「母さん、なんで一回しか買ってこなかったの」

「……なんでだろうね」

私は笑ってごまかして、麦茶を注ぎ足しました。

夫が、横で黙ってコロッケにソースをかけていました。

作らない日の焼き鳥

今は、週に四日です。

作らない日は、買ってきたものを器に移すだけです。

それでも、食卓の見た目は、ほとんど変わりません。

変わったのは、夕方四時の私です。

冷蔵庫の前に立たない日が、週に三日あります。

作る日も、献立を考えるのが、前ほど重くなくなりました。

次の日が作らない日なら、今日は少し手間のかかるものを作ってみようか、と思える日もあります。

もちろん、作らない日に、まだ少しうしろめたさを感じることはあります。

四十三年の癖は、半年では抜けません。

九月の終わり、作らない日の水曜日のことです。

夕方、私が惣菜売り場に行こうと財布を持ったところで、玄関の鍵が開きました。

夫が、白いビニール袋を提げて帰ってきたのです。

「今日、作らない日だろ」

中身は、駅前の店の焼き鳥でした。

ねぎまと、つくねと、皮が、二本ずつ入っていました。

私が頼んだわけではありません。

カレンダーの丸を、見ていたのだと思います。

「どうしたの、急に」

「工務店の帰りに、においにつられただけだ」

夫はそう言って、手を洗いに洗面所へ行きました。

私は焼き鳥を串から外して、鉢に移しました。

夫が戻ってきて、それを見て言いました。

「串のままでいいのに」

「いいのよ。移したいの」

その晩、久美子さんに短いメールを送りました。

「今日、夫が焼き鳥を買ってきました。作らない日だからって」

返事は、すぐに来ました。

「ほらね。決めただけで、いいのよ」

十月のカレンダーには、もう赤い丸が四つずつ並んでいます。

来月のページは、まだ真っ白のままです。

あなたなら、どうしますか?

もし「毎日」をやめるとしたら、週に何日を作らない日にしますか。

そして、その日の食卓を、どんなふうに整えますか。

今週、ひとつだけ決めるなら

ひとつで十分です。決めた日を、カレンダーに書いてみてください。

この物語から、考えたいこと

1. つらいのは料理ではなく、「毎日」

作ること自体が嫌になったわけではないことがあります。

献立を毎日考える役を、一人で持っているのが重いのです。

2. 減らすより先に、決める

「疲れた日はやめよう」だと、やめた日に罪悪感が残ります。

先に日を決めておくと、その日は決まりごとになります。

3. 作らない日ほど、見た目を整える

パックのまま出すと、手を抜いた日という顔になります。

器に移すだけで、同じものが普通の食卓になります。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(一人ぶんずつ盛れる・洗うのが楽・見て気分が下がらない柄)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

買ってきたものを移す鉢

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  • 販売ページの記載:径約12.5×高さ約7cm・満水容量約480ml・重量約330g・5個セット
  • 販売ページの記載:磁器・日本製(美濃焼)
  • 販売ページの記載:電子レンジ・食洗機に使える
  • 選ぶときは、大きさと深さ(何を盛るか)・レンジや食洗機に使えるか・重ねたときの高さを見ると選びやすくなります。

台所の壁に掛けるカレンダー

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  • 販売ページの記載:月間の紙のカレンダーと、書いて消せるホワイトボードの週間予定表の組み合わせ
  • 販売ページの記載:本体サイズはH465×W310×D18mm・掲載期間は2027年1月〜12月・日曜始まり
  • 選ぶときは、書き込む欄の大きさ・本体の大きさ(掛ける場所に合うか)を見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

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この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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