仕事を終えたあと
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退職後、「毎日何してるの?」と聞かれて答えられない61歳。親戚の席で「別に何も」と言ってしまった私が、手作りの名刺に書いた一行

朝、玄関から外へ出ていく後ろ姿
kuroko

「で、毎日何してるの?」

いとこの雅彦さんが、ビールの瓶を持ったまま、私のほうを向きました。

五月の日曜日、駅前の料理屋の座敷でした。

雅彦さんの還暦のお祝いで、親戚が十二人集まっていました。

「定年したんだって? 半年くらいになるのか。毎日、何してるの」

悪気のない聞き方でした。

隣の席の人に、天気の話をするのと同じくらいの調子です。

私は、グラスを両手で持ったまま、少し笑いました。

「別に、何も」

言ったとたんに、座敷のその一角だけ、話が止まりました。

誰かが「いいわねえ、のんびりで」と言い、誰かが「それが一番よ」と言いました。

雅彦さんは「そうか、そうか」とうなずいて、私のグラスにビールを足してくれました。

それで終わった話です。

でも、帰りの車の中で、私はひと言もしゃべれませんでした。

「別に、何も」

私は六十一歳です。

去年の三月に六十歳で定年を迎え、そのあと半年だけ引き継ぎのために残って、秋に会社を辞めました。

勤めていたのは、町の水道工事の会社です。

そこで三十三年、経理の事務をしていました。

請求書を打ち、現場から上がってくる領収書をまとめ、月末には銀行と役所を回る。

毎月、同じことのくり返しでしたが、嫌いな仕事ではありませんでした。

夫の忠志は六十四歳です。

電気工事の会社を四年前に辞めてから、近所の家の電球を替えたり、網戸を張り替えたりを、頼まれるままに引き受けています。

商店街から一本入った、間口の狭い三階建ての家に、二人で暮らしています。

息子は他県で所帯を持って、盆と正月に顔を見せる程度です。

あの座敷でも、夫は同じことを聞かれていました。

「忠志さんは?」

「俺か。俺は、この辺の電球替え係だ」

座敷がどっと笑いました。

夫は、それだけで話の輪の中にいました。

私は、自分の番のときに止まった空気を、何度も思い出しました。

別に、何も。

嘘ではありませんでした。

朝は夫と自分の分の弁当を作る癖が抜けず、昼にそれを一人で食べる。

午後は買い物に行って、夕方までテレビをつけておく。

そう答えればよかったのでしょうか。

それを言うくらいなら、「何も」のほうがまだましだと思ったのです。

三十三年、「経理の者です」

勤めていたころは、聞かれて困ったことはありませんでした。

電話を取れば、「経理の者です」と名乗る。

銀行の窓口でも、役所でも、「水道工事の会社の者です」で話が通りました。

親戚の集まりでも、「まだ働いてるの? えらいわね」と言われるだけで、それ以上は聞かれませんでした。

自分が何をしている人かは、会社の名前が代わりに説明してくれていたのです。

その名前がなくなってみると、私には、説明するものが何もありませんでした。

還暦祝いの翌週、夫が網戸の張り替えから帰ってきて、玄関で言いました。

「角の家の奥さんがな、お前は何してるのかって聞いてたぞ」

「……なんて答えたの」

「さあ、と言っといた。俺も知らんし」

夫は笑って、工具箱を下駄箱の横に置きました。

私は笑えませんでした。

夫に聞かれても、答えられないのです。

秋には、叔母の八十歳のお祝いがあると聞いていました。

また同じ顔ぶれが集まります。

また、同じことを聞かれます。

そう思うと、カレンダーのその日の欄を見るだけで、胃のあたりが重くなりました。

叔母の名刺

あの座敷には、母の妹の文江おばさんも来ていました。

もうすぐ八十歳になる人です。

私が「別に、何も」と言ったあと、少しして、今度は叔母が同じことを聞かれていました。

「文江おばさんは、毎日何してるの」

「私? 私は毎週木曜に歌ってるのよ」

叔母は、すっと答えました。

それから、手提げの中から小さな紙を一枚出して、雅彦さんに渡しました。

名刺の大きさの、白いカードでした。

「木曜の歌の会 田島文江」とだけ、印刷してありました。

「なにこれ、名刺?」

「孫に作ってもらったの。説明するより早いでしょう」

座敷が、また笑いました。

叔母は、私にも一枚くれました。

私はそれを、なんとなく財布のカード入れに差し込んで、そのままにしていました。

六月のはじめ、私は叔母の家に、頼まれていた梅干しの瓶を届けに行きました。

縁側でお茶を飲みながら、私はつい、口に出してしまいました。

「おばさん、あのとき、すぐ答えられてすごいなと思ったの」

「何の話?」

「毎日何してるのって。私、何も言えなかったでしょう」

叔母は、湯のみを縁側の板の上に置きました。

「私だって、七十までは言えなかったわよ」

「そうなの?」

「おじさんの世話と、孫の送り迎えと、それだけ。聞かれるたびに『いろいろよ』って言ってた。それが嫌でね」

叔母は、少し笑いました。

「だから、答えを作りに行ったの。歌の会は、答えのために入ったのよ。好きになったのは、そのあと」

答えのために。

私は、そんな始め方があるとは思っていませんでした。

何か好きなことが先にあって、それを続けている人だけが、答えを持っているのだと思っていたのです。

「あなた、若いころ合唱やってたじゃない」

叔母は、何でもないことのように言いました。

「高校のとき、あなたの学校の発表会、聞きに行ったのよ。お母さんと一緒に」

月末の、課長の声

高校の三年間、私は合唱部にいました。

卒業して今の会社に入ってからも、しばらくは市民の合唱団に通っていました。

週に一度、夜の練習に出るのが楽しみでした。

やめたのは、二十四歳の冬です。

合唱団の定期演奏会が、月末の金曜日に重なりました。

その日の午後だけ休みたいと、課長に頼みに行ったのです。

「月末か」

課長は、帳簿から顔を上げずに言いました。

「月末に休まれるとね、みんなが困るんだよね。締めがあるんだから」

「半日だけでいいんです。前の日に、できるところまでやっておきますから」

「うちは経理が一人なんだよ。分かるでしょう」

私は、それ以上は言えませんでした。

演奏会には出られず、次の練習にも、なんとなく行きにくくなりました。

年が明けて、合唱団の先輩から電話がありました。

「春の曲、あなたのパートの人が足りないのよ。戻ってこない?」

「すみません。仕事が、月末がどうしても」

「そう。残念ね」

電話を切ってから、私は台所で、しばらく受話器を見ていました。

あのとき、自分から「やめます」と言ったのです。

課長は、困っていただけだと思います。

経理が一人の小さな会社で、月末に穴があく心配をしていただけです。

それから三十七年、私は月末に一度も休みませんでした。

歌のことは、いつの間にか思い出さなくなっていました。

叔母の家からの帰り道、私は財布を開いて、あの名刺を見ました。

「木曜の歌の会」。

もう、月末に締めはありません。

無料の一回

その夜、夫が風呂に入っているあいだに、私はスマホで近くの歌の教室を探しました。

いくつも出てきました。

どれも、入会すると月にいくらかかるのかが気になって、画面を閉じかけました。

いきなり通うと決めるのは、無理だと思ったのです。

そこで、一回だけ決めることにしました。

無料で一回だけ試せるところ。

先生と一対一で、人前で歌わなくていいところ。

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平日の昼に行けて、家から電車で一本のところ。

この三つに合うところを一つだけ選んで、申し込みの画面に名前を打ちました。

職業の欄で、指が止まりました。

少し迷ってから、「無職」ではなく「その他」を選びました。

体験の日は、六月の最後の火曜日にしました。

月末の、火曜日です。

わざとそうしたと気づいたのは、申し込みが終わってからでした。

当日の朝、夫に言いました。

「今日、ちょっと出かけてくる。歌の、体験」

夫は新聞から顔を上げて、少し目を丸くしました。

「歌? お前が?」

「高校のとき、合唱部だったのよ」

「知ってるよ。結婚式の二次会で歌ったろう。……行ってこい」

教室は、駅ビルの上の階の、小さな部屋でした。

先生は、娘くらいの年の女性でした。

「何か、歌ってみたい曲はありますか」

「若いころ、合唱をやっていたんです。でも、もう四十年近く、ちゃんと声を出していなくて」

「じゃあ、今日は声を出すところからにしましょう」

肩を回して、息を吐いて、先生のピアノの音に合わせて「あー」と伸ばしました。

最初の声は、自分でも驚くくらいかすれていました。

三回目あたりから、胸の奥のほうで、昔の感じが少しだけ戻ってきました。

四十五分が、あっという間に終わりました。

「月に二回からでも、通えますよ」

先生にそう言われて、私はその場で、月に二回の火曜日を選びました。

定規と、はさみと

七月から、私は月に二回、火曜日に歌の教室へ通うようになりました。

うまくなったとは言えません。

高い音は、いまだに裏返ります。

それでも、火曜日の前の晩には、先生にもらった発声の紙を台所のテーブルに広げて、口の中で音をなぞるようになりました。

九月のはじめ、叔母から電話がありました。

「来月のお祝い、来てくれるわよね」

「行くわよ」

電話を切ってから、私は財布の中の、叔母の名刺を出しました。

角が少し丸くなっていました。

聞かれたら、「歌を習ってるの」と言えばいい。

頭では分かっていても、あの座敷の空気を思い出すと、口がうまく動く気がしませんでした。

言葉で説明するより、紙を一枚渡すほうが早い。

叔母が言っていたとおりです。

その晩、私は菓子箱の厚紙をはさみで切って、名刺を作ってみました。

ボールペンで名前を書き、その下に「歌を習っています」と書きました。

五枚作って並べてみると、大きさも角の形も、一枚ずつ違っていました。

夫が、後ろからのぞき込みました。

「なんだ、それ」

「名刺。叔母さんのまねよ」

「お前、三十三年も経理だったろう。定規で切れよ」

夫は笑いながら、引き出しから金属の定規を出してきてくれました。

定規を当てて切っても、菓子箱の厚紙は、切り口が毛羽立ちました。

字も、書くたびに少しずつ曲がります。

これでは、渡すたびに言い訳をしたくなりそうでした。

それで、家のプリンターで刷れる名刺用の紙を探すことにしました。

文房具の売り場には、厚さも枚数も違うものが、いくつも並んでいました。

決めた条件は、三つです。

一つ目は、家にある古いプリンターで刷れること。

二つ目は、はさみを使わずに、手で切り離せること。

切り口がまっすぐでないと、結局、菓子箱と同じになってしまいます。

三つ目は、枚数が多すぎないこと。

何百枚も配る相手は、私にはいないのです。

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一行だけ

刷る文字を決めるのに、三日かかりました。

名前の上に、何か肩書きのようなものを書こうとして、やめました。

元の会社の名前を入れようとして、それもやめました。

歌の教室の名前を入れるのも、違う気がしました。

最後に残ったのは、名前と、その下の一行だけです。

「歌を習っています。まだ下手です」

後ろの「まだ下手です」は、書くかどうか、最後まで迷いました。

でも、聞かれたときに、自分の口からいちばん言いにくいのがそこだったのです。

先に紙に書いておけば、言わなくてすみます。

刷ろうとすると、プリンターが途中で紙を噛んで止まりました。

二年ほど、ほとんど使っていなかったからです。

夫が工具箱を持ってきて、裏のふたを開けて、中のローラーをふいてくれました。

「電気屋の仕事じゃないけどな」

そう言いながら、十分ほどで直してくれました。

一枚目が、すっと出てきました。

ミシン目で一枚ずつ切り離すと、角のそろった名刺が十枚、テーブルに並びました。

夫はそれを一枚取って、しばらく眺めていました。

「まだ下手です、か」

「正直でしょう」

夫は、ふん、と鼻を鳴らしました。

それから、ぽつりと言いました。

「俺の分も作ってくれよ。『電球、替えます』って」

八十歳のお祝い

十月の最初の日曜日、叔母の八十歳のお祝いがありました。

五月と同じ料理屋の、同じ座敷でした。

料理が半分ほど進んだころ、雅彦さんが、私の前に座りました。

「そういえば、あれから何かやってるの」

来た、と思いました。

五月と同じ、悪気のない聞き方でした。

私は、ハンドバッグのポケットから、名刺を一枚出しました。

指先が少し冷たくなっているのが、自分で分かりました。

「歌を、習ってるの」

雅彦さんは名刺を受け取って、声に出して読みました。

「歌を習っています。まだ下手です。……なんだこれ、正直だな」

座敷が笑いました。

五月とは違う笑い方でした。

雅彦さんの娘の恵梨ちゃんが、横から名刺をのぞき込みました。

二十九歳で、隣の市で保育士をしている子です。

「おばちゃん、歌うの? 今度聞かせて」

「まだ下手だって、そこに書いてあるでしょう」

「下手でもいいよ。私、合唱の発表会とか、好きなんだよね」

恵梨ちゃんは、名刺を自分のスマホのケースの裏に挟みました。

上座で、叔母がこちらを見て、小さくうなずいていました。

夫は、少し離れた席で、叔父の家の蛍光灯の話をしていました。

胸ポケットから、自分の名刺の角がのぞいていました。

帰りの車の中で、私は五月よりずっとたくさんしゃべりました。

夫は、ほとんど相づちだけでした。

それから

それで、何かが大きく変わったわけではありません。

商店街の角の家の奥さんに「毎日何してるの」と聞かれたときは、名刺を持っていなくて、「まあ、いろいろ」と言ってしまいました。

歌の教室は、今も月に二回です。

高い音は、相変わらず裏返ります。

十月の終わり、恵梨ちゃんからLINEが届きました。

写真が一枚、ついていました。

保育園の職員室の冷蔵庫に、私の名刺がマグネットで留めてありました。

「園長先生に見せたら、『まだ下手です』がいいねって。発表会があったら呼んでね」

私は、しばらく返事を打てませんでした。

発表会なんて、まだ考えたこともなかったのです。

「来年の春に、教室の小さな発表会があるらしいの。出るかどうかは、まだ決めてない」

そう送って、スマホを伏せました。

台所の引き出しには、刷り残しの名刺用の紙が、まだ九枚分入っています。

財布のカード入れには、叔母の名刺と、自分の名刺が一枚ずつ、並んで差してあります。

あなたなら、どうしますか?

「毎日何してるの?」と聞かれたとき、あなたが一言で答えられることは、今ありますか。

もし何もないとしたら、答えを作るために、一回だけ試してみたいことは何でしょう。

この物語から、考えたいこと

1. 仕事の名前が、代わりに説明してくれていた

勤めているあいだは、会社の名前や仕事の名前が、「何をしている人か」を代わりに説明してくれます。

それがなくなって答えに詰まるのは、何もしていないからではなく、説明する言葉を手放したばかりだからかもしれません。

2. 答えのために始めても、いい

好きなことが先にあって、それを続けている人だけが答えを持っている、と思いがちです。

でも、答えを作るために始めて、好きになるのはそのあと、という順番もあります。

3. 言いにくいことは、先に紙に書いておく

「まだ下手です」のように、口では言いにくいことほど、先に書いておくと、聞かれたときの重さが少し変わります。

うまく答えることより、答えを一つ持っておくことのほうが、次の集まりを軽くしてくれるのかもしれません。

振り返りチェック

当てはまるものに、印をつけてみてください。診断ではありません。自分を振り返るためのものです。

印をつけた数:

数が多くても少なくても、良い・悪いはありません。

この物語に登場したもの

ここから下は物語ではなく、物語に出てきた道具の情報です。主人公が選んだときの条件(家にある古いプリンターで刷れる・はさみを使わずに手で切り離せる・枚数が多すぎない)に合う商品の一例で、登場人物が実際に使ったものではありません。販売ページやメーカーの記載にもとづく事実だけを載せています。

家のプリンターで刷れる、名刺用の紙

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  • 販売ページの記載:A4サイズに10面、12シート入り(120枚分)
  • 販売ページの記載:マイクロミシンカットで、ミシン目を折り曲げて手で切り離せる
  • 販売ページの記載:インクジェットプリンター専用、両面に印刷できる、紙厚は標準(0.200mm)
  • 選ぶときは、プリンターの種類・枚数・紙の厚さを見ると選びやすくなります。

※価格は変動するため、最新の価格は販売ページでご確認ください。

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この記事について

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。
※このお話は、実際に寄せられている相談や声を参考に、物語として再構成しています。登場人物・出来事は実在のものではありません。
※記事中の写真はイメージです。

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